「リナックス型宗教」を流布したい

突然ですが、「宗教」の「本質」とは何でしょうか?
 
私は、「宗教」とは、人が生きるにあたっての「基本ソフト(OS)」だと考えています。
すなわち、パソコンにインストールされている「ウィンドウズ」のようなものです。
パソコンは、この「基本ソフト(OS)」を下地にして、様々なソフトを動かします。
 
人も一緒。
人は「宗教」を「基本ソフト(OS)」として、様々な「意思決定」を行って生きるのです。
無宗教」の人の場合であっても、
その人は「科学万能教」という「宗教」をベースに生きていると私は考えます。
 
どんな人であれ、何かしらの「世界観」と「人生観」を無意識にでも有していなければ、
生きていく上での「掴み所」がなくなってしまい、
「幸せ」を感じられなくなってしまうと思うのです。
「この世界とは何か?」「この人生とは何か?」という問いへの「答え」が
公式に発見されていない以上、
人は皆その不明部分をどこかから借りてくるか自身で創造するかしかありません。
 
さて今、パソコンの世界で最も普及している「基本ソフト(OS)」はウィンドウズです。
ウィンドウズを広めたマイクロソフト社のビルゲイツは、世界一の大金持ち。
ウィンドウズの利用者は皆、
マイクロソフト社に「基本ソフト(OS)」の対価を払っているのです。
またマイクロソフト社は、ウィンドウズのソース(中身)を公開していません。
「基本ソフト(OS)」は、ほとんどマイクロソフト社の独占状態なので、
どんなに使い勝手が悪かろうが、
多くの人はこのウィンドウズでパソコンを操作するしかないのです。
 
現に私は、「ウィンドウズ8」の操作性の悪さに四苦八苦しています。
はっきり言って、「ウィンドウズ8」は嫌いです。
ウィンドウズも、昔は確かに優れたソフトだったのでしょうが、
今は、顧客ニーズを掴みきれているように見えません。
 
これは、キリスト教イスラム教のような伝統的な宗教にも当てはまる現象です。
発生した当時は、とても優れた「基本ソフト(OS)」だったのでしょうが、
今は時代錯誤のソフトになってしまっています。
例えば科学的な根拠がたくさん揃っているのに関わらず、
キリスト教は今でも進化論を否定しているのです。
 
伝統的な「宗教」は、もはや時代遅れの遺物となりました。
 
じゃあ「科学」を信じておけばいいじゃん?と思う人がいるかもしれませんが、
今の時点では「科学」のみで「世界」や「人生」を解明することは不可能です。
ですから、どうしても解明されていない余白は、「科学」以外のもので埋めるしかない。
 
また新興宗教は、今の時代にアップデートされている分、
信者を「幸せ」にする力はあるかもしれませんが、
マイクロソフト社のウィンドウズのように、
その「教義」もしくは「真理」の提供者に莫大な富が蓄積されていきます。
それは、マイクロソフト社がソースを公開していないように、
「真理」が教団に独占されているからです。
だから「真理」が非常に高値となり、
「信者」は有り金をはたかないと新興宗教で「幸せ」になることができない。
 
このように考えていくと、
現代社会の人々を救う最適な「宗教」は今存在していません。
ですから、相も変わらず「世界」は「不幸」なのです。
 
そこで私は、「リナックス型宗教」を提唱したいと考えています。
リナックスLinux)とは、ウィンドウズに対抗して創られた、
ソースが公開された皆で機能を追加する「基本ソフト(OS)」です。
世界の有志のボランティアで少しずつ機能をブラッシュアップして、
リナックスは日夜成長します。
そして、リナックスは誰でも無料で利用できるのです。
リナックスウィキペディアはこちら)
ソースが公開されているということは、不明な怪しい機能は搭載されていないということなので、
国家機密を扱うようなソフトでは、このリナックスを利用することがあります。
また、多くの有志の知恵によって日々時代に合わせたカスタマイズが成されるため、
ウィンドウズよりも圧倒的に操作性もよいという利点も有するのです。
 
ウィンドウズは、個人の「富」のために創られましたが、
リナックスは、コンピューターの発展のため、ひいては社会のために、
創られたと言っても過言ではありません。
 
さて、今存在する宗教は、全てウィンドウズ型の宗教であると言えます。
なぜなら、「幸せ」になるための「真理」が独占されているから。
教祖の発する言葉にしか「真理」がないということは、
マイクロソフト社しかウィンドウズを提供できないということと似たようなものです。
マイクロソフト社以外の出したウィンドウズは「海賊版」と呼ばれ、違法扱いとなります。
 
でも「真理」って、誰かが独占して知っているものではありませんよね?
どちらかと言うと、「幸せ」になるための「真理」は、
たくさんの人の中に存在しているはずなのです。
 
そこで、「リナックス型宗教」の出番となります。
まだ「科学」では埋められない「幸せ」になるための「真理」を、
多くの人がネット上に共有し議論しブラッシュアップしていく中に求めるのです。
 
もちろん、その「真理」は当然にして無料でシェアされる。
 
私は、この「科学」の時代にあっても、
まだまだ上記で挙げた意味合いでの「宗教」は必要だと思っています。
なぜなら、人々はまだまだ全然「幸せ」ではないから。
「世界」や「人生」を自身のモノサシで捉えきれず、「自殺」する人が後を絶たないから。
 
しかし、信者を騙し、教祖を肥え太らせるような、
「幸せ」を生み出さない「宗教」は必要ありません。
 
今必要なのは、全く新しい「リナックス型宗教」なのです。
 
この投げかけに賛同してくれる方はいらっしゃいませんでしょうか?
是非「幸せ」になるための「真理」をネット上で構築して、
「世界」を「幸せ」にしませんか?
「科学」では埋められない余白を、我々で議論して埋めて、
新たな「宗教」の教義をネット上に構築するのです。
 
手始めに私は、「一生懸命」を「幸せ」のための「真理」として提唱します。
「人」や「生命」は「一生懸命」になれる「状態」や「環境」にある時、「幸せ」になれる。
「一生懸命」は、
「才能」や「容姿」や「生まれた環境」や「運」といった外部要因に左右されない
「生命」の美しい「輝き」なのです。
「一生懸命」ではなく「欲」を行動原理にすると、「生命」の「輝き」は失われます。
なぜなら「生命」の反対側の存在が「モノ」であり、
「欲」はその「モノ」サイドの「遺伝子」がもたらすものだからです。
「生命」は、「モノ」墜ちすると、「不幸」になってしまいます。
 
以上が、私が3年間かけて導き出した「真理」です。
これらの「幸せ」のための「真理」は、もちろん無償で提供していきます。
 
これらの「真理」があなたの「幸せ」に少しでも貢献できたら、とても嬉しいです。
そして、この私の提唱した「真理」を「材料」もしくは「他山の石」にして頂いて、
更なる「真理」がネットで構築されることを願って止みません。
 
もういい加減、人類は「幸せ」を本気で目指しましょう。
「欲」や「お金」といった「モノ」では「幸せ」になれないことを、
もうあなたは気づいているでしょう?