「のに」
『のに』
あんなにして
やったのに
『のに』がつくと
ぐちが出る
相田みつをさんの言葉です。
この言葉は私の「心」に引っかかって、
私の記憶に留まっています。
「そうだなぁ」と、妙に納得した言葉でした。
しかし、納得して記憶に残っていたとしても、
それがそのまま実践で使えるかというと、それはまた別の話となります。
振り返ると、私は「のに」で怒ることが時々あるのです。
「あんなにしてやった」
ここからして、もう傲慢。
そして、
「こんだけやったんだから、相手には感謝して欲しい」とか、
「こんだけやったんだから、相手に対してこういうポジションになるよな」とか。
何とも醜い考えが、「心」に蔓延(はびこ)ります。
「誰かのために、何かをしてあげる」
これ自体は、心ある立派な行為です。
しかし、その立派さは、目を離すとすぐに腐食します。
「のに」菌によって。
見るも無惨な、相手も自分も傷つける全く別物の毒物に成り果てるのです。
私は、職場の同僚から教わりました。
「見返りを期待しちゃいけない。
最初は見返りがなくて損した気持ちになるけど、いつかそれは自分に巡り巡ってくる。
誰かのために何かをしてあげることが大切なことで、そこに自分が価値を見出さないと。」
へこんでいた自分にとって、とても有り難い言葉でした。
本当に、その通りだと思います。
例え相手がどうであろう誰であろうと、
自分を頼る人、苦しんでいる人には、ただひたすらに貢献する。
そこにこそ、自分が生まれた価値があると想うのです。
「才能」は英語で「Gift」と言います。
「才能」は、天からの借り物なのです。
だから、それを出し惜しみするのは、与えられた「才能」の我田引水です。
必要としている人、苦しんでいる人に、その「才能」を捧げることで、
「世界」は回っていきます。循環していくのです。
「人の価値とは、その人が得たものではなく、
その人が与えたもので測られる」
アイン・シュタインの言葉です。
(関連過去ブログ)
「才能」があるから偉いんじゃないんです。
「才能」を提供して世界に循環させることに、本当の意義があるのだと想います。
「のに」菌には、本当に要注意です。
本当の人の輝きは、与えられた「才能」を世に提供することなのだから。
それで、お金をいくら得られたとか。
それで、これだけの尊敬を集めることができたとか。
それで、自分の居場所が得られるとか。
そんなことを考えていたら、一気にその輝く金属はさび付きボロボロと崩れ去ります。
ただただ、「才能」を世に提供すること。
その瞬間に、「人生」の最高の煌めきが宿るのです。
得るものよりも、与えるものに、人として最大の意識を向けたいと、私は考えます。
