「世界」の「理不尽」と「ストレス」と「共感」

私は、「生命」にとっての「世界」は「理不尽」であると考えています。
 
それは、「生命」が常に「ストレス」にさらされ続けていることからも明らか。
 
野生の動物は、常に捕食者(天敵)に襲われる恐怖と共に生きています。
それに比べて人の立ち位置は「安全」です。
そして人は、野生動物の弱肉強食の環境を「地獄」と呼びました。
「地獄」には人の「天敵」が存在します。
その「理不尽」な「天敵」は鬼です。
 
近年「進撃の巨人」という漫画が、流行っています。
人を「理不尽」に捕食する巨人という非日常の存在が、
この漫画の人気要素の一つだと、私は考えています。
 
「理不尽」は、人を魅了する。
 
なぜならば、他者の「理不尽」を見て、
人は今の「安全」な立ち位置に「安心」できるから。
  
そうして自分の位置に「安心」することで、
人は今現在受けているの「ストレス」を軽減することができる。
 
恐らく、他者の「理不尽」を見聞きすることに、
人は「快」の感情を持つのではないでしょうか。
 
一方で、ネズミ以上の哺乳類や鳥類のような高次な「生命」は、
「共感」という「心」の機能を持っています。
 
「他者」が受けている「理不尽」を自分のことのように感じる力。
それにより、「他者」の「理不尽」を「不快」と感じることができる。
 
このブログでは、度々例として挙げていますが、
「他者」の「苦しみ」を共有するネズミの話は有名です。
 
あるネズミに、ケージ内のボタンを押すと餌が出ることを学習させる。
すると彼は、ボタンを押して気ままに餌を食べるようになる。
 
しかしある時、そのボタンにもう一つ機能を追加します。
それは、ボタンを押すと隣のケージのネズミに電流が流れるというもの。
 
するとどうなるか?
隣のネズミが電流に苦しむ姿を見て、やがて彼はボタンを押さなくなります。
そして、彼は飢え死にするまでボタンを押さなくなるのです。
 
この「共感」という「心」の「働き」を持つことで、
「生命」は「世界」の「理不尽」に対抗する「武器」を手に入れたと、私は感じています。
 
そして、この「生命」の「進化」の方向で最も優れているのが、
私は人間ではないかと考える次第です。
 
「言葉」を持つことで、人の「共感」能力は飛躍的に向上しました。
奴隷制」の廃止、「基本的人権」の構築、「社会貢献意識」の肯定。
 
それから、私自身はベジタリアンでないことを断った上で描きますが、
殺生を禁止した「仏教」や「ベジタリアン」の人達の増加は、
種を超えて「生命」を「世界」の「理不尽」から解放し、
「理不尽」な「世界」に対抗しようとする試みに見えます。
 
「生命」は何に向かって「進化」しているのか?
 
私は、「理不尽」な「世界」に対抗するために「進化」しているように考えます。
 
そして、過去ブログ(「「意識」を2で割ると? 「意識」を2で掛けると?」で描いていますが、
「生命」は皆、根が一つの同じものだと私は考えています。
だからこそ、「生命」は「共感」できるし、助け合おうとするのかなと思っています。
 
現実「世界」で分断されてしまった「生命」は、
本質的に一緒になろうとしていると、考える次第です。