2015-01-01から1年間の記事一覧

繰り返しているのか?積み上げているのか?

たびたび出している例で恐縮ですが、 ソ連の強制収容所では、 収容者に穴を掘らせては埋めさせるという苦役がありました。 苦労して自分の掘った穴をまた自らの手で埋めるという、 無為な労働に、収容者の精神はやられてしまう訳です。 「心」というものは、…

私の「琴線」

私は、「可哀想」という感情をよく持ちます。 そしてそれが、自分の行動原理になることが多いです。 童話や物語でも涙が出ます。 例えば、「ゴンギツネ」や「一杯のかけそば」。 それから先日読んだ絵本でも、涙があふれそうになりました。 どんなところで泣…

「浮き世」の「地図」

この「世界」は、「浮き世」のごとく。 確かなものや絶対的に正しいものなど何一つなく、 全てが相対的に諸行無常にヌルヌル動いていくこの「世界」。 そもそも、この宇宙がどこから来てどこへ向かっているのか、 それすらわからない。 この「世界」に、地図…

「強く」なるには、「答え」を出せばよい

世界で最も強い人とは、どのような人でしょうか? もちろん「強い」の定義は様々ありますが、 私は「信念」を持つ人々を挙げたいと思います。 人間なんて所詮、虎や熊よりも力の弱い生き物です。 ですから格闘家や武人が最も「強い」かと言うと、そうではな…

「人生ゲーム」のルール

人は、なぜ「生きる」のか? それは、「生きる」ことで何らかの「価値」が生み出されているからです。 さて「価値」がマイナスとなれば、人は自殺すると定義します。 ・・・と考えたのですが、ここに矛盾があると気づいた次第です。 人は、「価値」がマイナ…

心の中に家を建てましょう

人は、年を経るにつれ、処世術を身につける。 自分の特質の一部が、社会と不適合であるとき、 人は、そのギャップを埋める術を身につけねばならない。 それが、処世術だ。 私の場合は「こんなにやっているのに」という想いが強すぎて、 そこの部分を無視され…

「生きる価値」

「人生」は、ドラマでもなければ映画でもない。 ドラマや映画の主人公のような活躍場面もないのに、 皆どうやって自分に「生きる価値」を見出しているのだろうか? 社会に出て職場や大切な人に貢献することは、 自分の「生きる価値」を見つける一つの道だろ…

ゲゲゲの幸福論

「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんが、 11月30日に満93歳で亡くなられました。 水木しげるさんと言えば、もちろん妖怪です。 おそらく多くの日本人がそうであるように、 私も子どもの頃は、水木しげるさんが描く妖怪の世界をワクワクしながら見てい…

「不完全」

人は、なぜ苦しむのか? ブッダが、掲げたテーマです。 生きる上での「迷い」の源泉は、この問いに集約されると思います。 キリスト教では、 人間は生きながらにして「原罪」を背負っているからという話になるようです。 私はこの考え方には、救いがないよう…

「莫妄想」

昨日、休日だったので北鎌倉の円覚寺に行ってきました。 臨済宗円覚寺派の大本山であり、 境内には現在も禅僧が修行をしている道場があり、 毎週土曜・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会も実施されています。 (円覚寺のウィキペディアは、こちら…

見よ、世界は美しい

「見よ、世界は美しい」 手塚治虫さんの作品「ブッダ」文庫版の帯に、この言葉がありました。 私の「心」に、強く残った言葉です。 何が美しいのか? 「生命」です。 仏教は、人間を特別な存在にせず、すべての「生命」を、救いの対象としています。 「なぜ…

虫になるな。猿になれ。

自分の中で生きる理屈を考えて生きていくことは、とても大切です。 特に、自分の「人生」に途方に暮れることが多い人には。 持って生まれた資質やセンス、生まれた環境、その後の出会いや運命、 「人生」をよいカードで始められた人は、あまり理屈を考える必…

もしも「世界」が自分だけだったら

私は昔、 「自分以外の全ての人が自分だったらいいのに」と本気で考えていたことがあります。 そうだったら戦争も起きないのにって。 思考実験的には面白い発想で、 食料に乏しいアフリカの国々では、飢えた私はどのような行動をするのか? そもそも自給自足…

何もないところからやり方を模索する

私の仕事上での強みの一つに、 何もないところからやり方を模索するということがあります。 世の中には、書籍やネットから拾えないような、 手探りで模索するしかない情報って、まだまだたくさんある訳です。 あまり世間で頻回に行われていないような特殊な…

冷たい傘

私は、傘になりたい。 雨に降られて、寒さに震えている人の傘になりたい。 私は、冷たい雨が嫌いだ。 それは、たくさんの人が寒さで震えるから。 私の心は冷えすぎていて、震えている人を抱きしめることもできない。 だけど、傘にはなれる。 冷えた心には、…

「オズの魔法使い」vs「幸せの青い鳥」

「オズの魔法使い」が映画化されたのは、1939年のことです。 この映画はアメリカのMGMによって製作され、 1939年のアカデミー賞では主役のジュディ・ガーランドが特別賞を受賞しました。 (ウィキペディアは、こちら) MGMの「オズの魔法使」の成功へ…

「同情」は、なぜ悪いのか?

私は、人に「同情」して行動します。 しかし世間一般では、 「同情」はよくない、「同情」は相手にとって失礼だ、と言われているようです。 ですので私は、このブログや、日常生活において、 「同情」という言葉はほとんど使っていません。 しかし実体として…

私にとっての「優しさ」

私は、昨日救われました。 またもや悩んでいて、つぶれそうになった時、二人の方の「優しさ」に、文字通り救われました。人から優しくして頂くことの、この救われるような安堵するような感覚。その本当に有難いお二人の方の「優しさ」に触れて、私は一つのこ…

「長い箸」

仏教での有名な講話「長い箸」。 死後、極楽に行った人も地獄に行った人も、 皆食事は1メートル以上の長い箸を使って行うというものです。 極楽の人達も地獄の人達も、その箸で食事をするのですが、 箸が長すぎて、箸でつかんだ食べ物を自分の口に入れること…

お小遣い帳

最近ちょっと金欠ということもあり、 お小遣い帳をつけ始めました。 エクセルで作成。 過去にも、エクセルでお小遣い帳を作って管理していたのですが、 その時はお小遣い帳の項目を細かく作りすぎて、長くは続きませんでした。 今回はその反省を活かし、 支…

「情報化」の現代だからこそ、「雑学」を趣味にしよう

2015年10月21日は、 あの名作映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」で、 主人公のマーティが時間移動した未来の日です。 あの映画の世界のように、 空飛ぶスケボーはまだ開発されていませんが、 当時から大きく様変わりしたことがあります。 「情報化…

「生命」は「優しさ」に向かって進化する

何があれば、この「世界」を生きていけるのか? 私は、「誇り」と「優しさ」だと想います。 「優しさ」のない「世界」を想像してみて下さい。 そこに生きる「意味」や「価値」は、あるのでしょうか? そんな「世界」の住人だったら、「心」は成長しないよう…

「過程」に「誇り」を、「結果」に「責任」を。

何があれば、この「世界」を生きていけるのか? 私は、「誇り」と「優しさ」だと想います。 何に対して「誇り」を持つのかと言うと、 自分のやっていることに対してです。 一生の中で一番多くやっていることは「仕事」ですから、 自分の仕事に「誇り」を持て…

「知る」は「優しさ」

バイアス、偏見、フィルター。 どれも、あまりよい言葉ではありません。 偏見を持った人にとっても、偏見を持たれた人にとっても、お互いに不幸なことです。 アフリカのギニアの村で、 予防対策を周知するため政府が派遣した保健当局職員ら7人が、 怒った住…

「幸せ」を常に考えながら生きる

「自分はどうしたらよいのか?」 「自分はこの先どう生きたらよいのか?」 こうしたことに、ここ数ヶ月悩んできました。 自分以外の人にも、相談したりしました。 「すごいな」と感心するような答えを持っている方ばかりでした。 何度も描いてきていることで…

ピリオドに向けて

このブログも、今日で716日目です。 たくさんのことを、このブログで「考察」してきました。 そして、たくさんの時間を費やして「表現」してきた次第です。 このブログを描いてきた原動力は何だったのか考えると、 私が「生きる」上での、「苦しみ」や「悔し…

イマジナリー相棒

イマジナリーフレンドを、ご存じですか? 子どもが、目に見えない空想の友達と話す現象を指します。 イメージとしては、隣のトトロのような存在でしょうか。 大人には、見ることができません。 子どものために存在する想像の友達です。 子どもが誰もいない空…

何を「表現」したいのか?

私が文章表現に「想い」を持つようになったのが、 いつからだったのか? ず〜っと考えていたのですが、思い出しました。 小学校5年生の時に学校の授業で詩を書いて、 その詩を先生に褒められたことがとても嬉しかったのです。 クラス皆の前で褒められたのが…

引き受ける「覚悟」

私の悪いところは、人と比較をしてしまうところ。 人と比べて評価されない、とか、 あの人だけずるい、とか。 そんな考え方を持つと、不平不満が生まれるし、被害者意識も生まれるのです。 しかし、人と比較すること自体がナンセンスだと気づきました。 なぜ…

「依存」と「委任」の間

私は人に「委ねる」ことが苦手です。 うまく人に何かをお願いすることができません。 それは私が、「委ねる」の意味を勘違いしていたからです。 私は「委ねる」を、「依存」のように感じていました。 そりゃあ、人に「依存」するのは気が引けて当然です。 「…