2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「継続」は「命」の燃焼である

私は、今「モノ」です。 自分で自分のことを「モノ」として見ているので、 自分を「愛」することができません。 自分を「モノ」として見ていれば、 他者のことだって「モノ」として見てしまうので、 結局私は、他者を「愛」することもできていない訳です。 …

「愛」の反対は「無関心」

「愛」の反対は「無関心」 マザー・テレサの有名な言葉です。 最近私はエーリッヒ・フロム著の「愛するということ」を読み、 「人生」や「幸せ」や「世界」を考察する上で、 「愛」は欠かせないと感じるようになりました。 今までは、仏教的な価値観に傾倒し…

誰のために生きるのか?

私は、自分のために生きることができません。 私が頑張っていられる時は、 「誰かのために」という想いが「心」にある時です。 組織の仲間のために。 苦しんでいる○○さんのために。 大切なあの人のために。 私にとっては、頑張るためによい方法だったのです…

ミスチルの「終わりなき旅」

人から勧めて頂き、ミスチルの「終わりなき旅」という唄を聴きました。 とてもストレートで、とても「心」に響いて、とても「心」がキュッとしました。 どんな歌詞かと言いますと、こんな歌詞です。閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていてきっとき…

「感情」の乏しい者の利点、「感情」の乏しい者の悲哀

私は「感情」の乏しい人間です。 人から褒められても、その人の期待に応えるべく無理に喜ぼうとして、 変な感情表現になってしまったり。 人からバカにされても、何も感じなかったり。 悲しまなければいけない場面で、うまく悲しめなかったり。 皆で楽しんで…

「人生」とは「経営」であり、「自信」が「資金」もしくは「資本」である

前日のブログで公言したとおり、 私は朝、仕事前に周辺をジョギングしてきました。 やはり、私が「幸せ」に生きるために、朝のジョギングは必要なことのようです。 精神的な「疲れ」がリフレッシュされ「心」は心地よい状態が維持されました。 「体」の芯か…

自分の「時間」は公共財である

今目の前にある「時間」をどう使うのか? これはそのまま、どのように「生きる」のか?という問いに置き換えることができます。 なぜならば、「命」=「生まれてから死ぬまでの時間」だからです。 「時間」への対峙の仕方をしっかりと「考察」することなしに…