現代人はバラ色の夢を見るか

「夢」
(1)睡眠中に、現実であるかのように見聞きする現象
(2)希望。理想。
 
何故、この全く異なる二つの事象が、
「夢」という一つの言葉で表されるのでしょうか?
そういえば、英語の「Dream」にも上記の二つの意味が存在しますよね。
私は昔から、このことを不思議に思っていました。
 
私の勝手な想像では、昔の人たちは「夢」なんて持っていても、
それが叶う環境がなかったのかもしれないなと推測しています。
例えば、所詮百姓の子はどんなに頑張っても百姓なのです。
だから、「夢」を見るのは気持ちの良いものだけど、
現実のことになることなんてあり得なかった。
そういう意味では、上記の(1)も(2)も
昔は同じ言葉で差し支えなかったのかもしれません。
隣の田吾作さんが「おらぁ努力して裕福になるだ!」と言っても、
「なに言ってるだ。努力したって年貢で取られるだけだろ?
 夢みたいなことを言ってるんじゃねぇ!」と返される訳です。
 
しかし、現代は資本主義の世の中。
不完全であるとは言え、努力したら報われる社会です。
現代の日本においては、 「夢」という言葉には上記辞書の引用の通り、
2つの意味が独立して無関連に存在するようになりました。
すなわち、見る「夢」と叶える「夢」です。
 
とは言え、最近は「夢」を語ることや持つことを
恥ずかしいと考える人が増えてきたように思います。
士農工商の時代と違って、
せっかく「夢」を追ってもよい時代に生まれた訳なんですから、
変な遠慮なんかせずに、
気軽に「夢」を追いかけた方が絶対楽しいと思うんですが、いかがですかね?