ドフラミンゴとリク

久しぶりに、漫画「ONE PIECE 」の話です。
私は後輩に薦められて、「ONE PIECE 」を当時の最新刊まで一気読みして、
この漫画にはまりました。
 
同時期に、私は日本でブームになった
マイケル・サンデル博士の著書「これからの正義の話をしよう」を読んだのですが、
この二つの作品に私はとても感動したのです。
 
「ONE PIECE 」を読んでいる人も、「これからの正義の話をしよう」を読んだ人も、
日本には莫大な人数がいると思います。
しかし、この名作を同時期に続けて読んだ人はそんなにいないはず。
続けて読むと、この2冊には共通のテーマが流れていることに気づきます。
 
それは「どの正義を選ぶのか?」ということです。
 
実際、「ONE PIECE 」の世界政府の海軍の制服には、「正義」という文字があります。
「ONE PIECE 」はメタファーがわかりやすくて好きです(笑)。
 
いづれ、主人公ルフィの祖父の所属する世界政府と、
父が率いる革命軍と、そのどちらにも属さないルフィの、誰が「正義」なのか?
読者の「考察」が試される場面が登場するでしょう。
 
その他にも「正義」ネタは、いっぱい埋め込まれています。
例えば、韓国中国から問題提起されている日本の歴史問題。
 
エースは幼少時代、父親が大海賊であったことから、
罪もないのに、周囲の大人から虐げられ責め続けられます。
 
また最新刊では、
先代の国王に虐げられていた小人族に、全く無関係で善意の次の王が土下座して詫びる場面も。
 
あなたは、親の悪名で虐げられる子どもの姿に「心」を痛めましたか?
あるいはあなたは、自身と関係のない悪行を
前任者に代わって土下座して謝る王「リク」の姿に「心」を打たれましたか?
 
マイケル・サンデル博士の「これからの正義の話をしよう」によれば、
「親の悪名で無実のエースが虐げられるのはおかしい」と感じたあなたは、
リベラリスト」という「正義」を持っています。
 
「いやいや、被害を受けた人達の気持ちを考えれば、
無関係でも王という役割を担った者が虐げられた者に謝罪をするのは当然だ」と
考えたあなたは「コミュニスト」という「正義」の保持者です。
 
マイケル・サンデル博士自身は「コミュニスト」を自身の「正義」とすると言っています。
ちなみに私は「リベラリスト」を「正義」とする者です。
 
そんな具合に、「ONE PIECE」には「哲学」が処々に埋め込まれています。
だから私は、「ONE PIECE」が好きです。
 
優れた作品には、「哲学」が宿る。
優れた経営にも、「哲学」が宿る。
そして、優れた「人」にも。
 
さて、そんな視点で「ONE PIECE」を楽しんでいる私ですが、
今月の最新刊にも私をうならせる描写がありました。
 
「善意」の象徴であるドレスローザ国の王リクは、
「悪意」の象徴であるドフラミンゴの罠にはまって、
国民と国を奪われます。
その罠とは、ドフラミンゴの能力でリクが操られ、
リクが望まぬ酷い行動を国民に行い、国民の信用を失わせるというものでした。
 
この悲劇の行動に対し、国民はリクを恨み責め立て攻撃を加えます。
そんなリクの姿を見て、「心」を痛めた読者も多いのではないでしょうか?
 
しかし、あなたは、
そんな無知で軽薄な国民の行いと同じ事を実生活でしていることに気づいていますか?
それは、もちろん私も同様です。
 
「人」の「心」には、
本体である「良心」と同居人の「本能(欲)」の二者が存在します。
例えば、あなたの周囲の誰かが万引きをしたとします。
そうした時、あなたはその人に対して「悪いやつ」という見方をするでしょう。
でも、その行動が「本能(欲)」に操られていただけだと想像することはできますか?
 
ONE PIECE」のドフラミンゴに操られるリクを思い出してください。
 
もし仮に、本体が「良心(リク)」で、
その万引きという行動は「本能(ドフラミンゴ)」に操られた行動に過ぎないとするならば、
その万引きをした人を、無思慮に責めることに躊躇する人もいるのではないでしょうか?
このように自分の頭で「世界」の「常識」を疑うことが「哲学」の始まりとなります。
そして自分専用の「価値観」を「創造」した者だけが、「幸せ」を発見できるのです。
 
「世界」を「哲学」して喝破しましょう。
ヒントは、漫画にだって哲学書にだって映画の中にだって、
優れた作品には作者の「哲学」が埋め込まれているのです。
 
あなたの「正義」は、どこにありますか?
あなたは、この「世界」をどのように見ますか?