あなたの「本体」は、何ですか?
私は、これまでずっと「幸せ」について考えてきました。
そして「幸せ」の「仮説」に基づいて実際に行動し、
その「仮説」で本当に「幸せ」になれるのか検証をしている次第です。
過去ブログで私は言いました。
(過去ブログ:「良心」と「本能」、相対するもの)
「世界」は「心(生命)」と「モノ」の陰陽である。
そして「人」においても、「心(生命)」側の「良心」と「モノ」側の「本能」は、
陰陽の関係となっている。
私達「生命(魂)」の本体は「良心」であり、
「モノ」サイドの「遺伝子」がもたらす「本能(欲)」や「体」は、
外部からの借り物である。
そして、私達が「幸せ」になるためには、
私達の「本体」である「良心」の声に基づいて行動すればよく、
今生での同居人の「本能(欲)」の声に従って生きると「不幸」になってしまう。
そして私は、上記の仮説を立証するために、私の「人生」を実験台にすると宣言しました。
この実験結果の報告は、逐一このブログでなされる訳です。
見事、私の「仮説」が当たれば、人類に対して重要な貢献ができると考えています。
何しろ、「人」の「存在理由」は「幸せ」を求めることなのですから。
さてこの「仮説」に、もう少し「言葉」を加えていきたいと思います。
どうしたら「幸せ」になれるのか?
以下に、今時点の私の「幸せ」論を展開します。
「幸せ」になるためには、「心」のあり方が重要です。
必ずしも、「モノ」や「欲」は必要ありません。
「心」を満たさずに、
「モノ」や「欲」だけを追う生き方が「幸せ」につながらないということは、
何となく直感できるのではないでしょうか?
例えば、「宝くじ」に当選した人が逆に「不幸」になってしまうというお話は、
誰しも聞いたことがあると思います。
どうして「モノ」や「欲」では「幸せ」になれないかと言うと、
「幸せ」であるためには、
自分がこの「人生」の「主人公」であるという感覚が不可欠だからです。
同居人に過ぎない部外者の「欲」に耳を傾け生きていくことの空しさ。
逆に自身の本体である「心」を満たすように生きることの充実感。
「心」を満たす生き方をすると、「心(魂)」は「成長」します。
そして、その獲得した「成長」は決して失われることはないのです。
例え死んだとしても、「成長」した「魂」は失われずに残ります。
一方、「モノ」や「欲」は、獲得時の「快楽」は大きいですが、
常に失われる「恐怖」に怯えることになる訳です。
「モノ」や「欲」は、私達の本体ではありません。
だから、いつか自分から離れていくことを、直感的に私達は理解しているのです。
どんなにお金を貯めたって、誰かに奪われてしまうかもしれないし、
もちろん自分が死んでしまったら持って行けません。
このように「考察」をしていきますと、
「幸せ」になるためにはどうしたらよいかが、自ずとわかってきます。
それは、二つの行動で実現できます。
一つは、
自身の本体が「良心」であることに気づき、
「本能」や「欲」が部外者であることに気づくことです。
そして二つ目は、
自身の中に発見した「良心」を満たす行動をし、「心」を「成長」させることです。
これで「幸せ」になれます。
本当です。
現に私は、今「幸せ」です。
外から見たら、いい年齢なのに独身で、「モノ」もそんなに持っておらず、
とても「幸せ」には見えないかもしれませんが。