醜い「感情」

「感情」とは、醜いものである。
 
昨日も、閉じ込めていた「感情」が表に出て来てしまい、
とても深く後悔した。
 
「感情」は「欲」と密接な関係にある。
「感情」は綺麗事ではない生々しいものである。
「感情」は、エゴである。
 
「感情」を表に出したら、人に嫌われる。
「感情」を表に出したら、自分を嫌いになる。
「感情」は汚い。
 
他者の身勝手な「感情」に、私は「人生」でどれだけ苦しめられたことか。
そして、自身の目を覆いたくなるような醜い「感情」を表に出してしまった時、
そのせいで、どれだけ人から引かれる結果となってしまったか。
 
私は、「一生懸命」で「優しい」人でいたい。
「一生懸命」で「優しい」人であるなら、人に好かれる。
「一生懸命」で「優しい」自分は、好きである。
 
醜いのは、嫌だ。
人に嫌われるのは、嫌だ。
 
「感情」を素直に表に出せる人が羨ましい。
そういう人の「感情」は、他者に受け入れられるさわやかな「感情」なのだ。
 
もっと昔から、「感情」を表に出していたらよかったのか?
表に出していたら、他者の「感情」とぶつかり合い、「感情」が「成長」できていたのか?
 
だけどよく考えたら、嫌な「感情」を出す人もいる。
「感情」で人を傷つける人の「感情」を、私は許さない。
 
例えば、「浮気」とかはダメ。
「感情」を優先して、人を傷つけてよい訳がない。
 
だけど「感情」を閉じ込めたまま、生きることは「幸せ」なことなのか?
 
「感情」は、敵なのか?
それとも「感情」こそが、自分なのか?
 
私はずっと「良心」こそが、自分であると考えてきた。
「良心」は綺麗で温かい。
私は「良心」だけを表に出して、そして磨いてきた。
 
磨かれた「良心」を頼りに、私は「人生」を生きていく。
他の「感情」は、表に出てくるな。
 
だけど、本当にそれでいいのか?
私の中の「良心」以外の「感情」は、そんなに醜い奴らばかりなのだろうか?
そこのところが、よくわからない。