「理解者」

「理解者」の価値を知っていますか?
自分に対して「無関心」でなく、「心」で接してくれようとする人。
 
私達の周りには、二種類の人間が居ます。
それは、自分のことを「理解」してくれようとする人と、自分に対して「無関心」な人。
 
自分のことを「理解」してくれようとする人は、とても希少だと思います。
結局の所、多くの人は、「無関心」か「便利」か「邪魔」か、という観点で、
相手を「モノ」として見てしまう中で、
「理解者」は、自分を「生命」や「心」として捉えてくれる人なのです。
 
さて、私達が子どもの頃には、
親という大きな「理解者」に支えられ、「心」は豊かに成長していきます。
 
しかし「理解者」が不在である場合、
子ども達の「心」は育たず「モノ」のようになってしまう。
このことは、「チャウシェスクの落とし子」という実例で悲しくも実証されています。
 
それは、ヨーロッパのルーマニアという国で起きた悲劇です。
かつてルーマニアには、チャウシェスクという独裁者がいました。
チャウシェスクは、人口倍増計画を推し進める中で、国民の堕胎を禁止。
しかし国は深刻な食糧不足であったため、なんと10万人もの捨て子が出てしまったのです。
 
そういった孤児達は、国営の孤児院で育てられ「モノ」のように扱われました。
ほ乳瓶に入ったスープしか与えられず、
誰からも言葉をかけられることもなく放置されたままの状態にされたのです。
 
その結果、60%もの孤児達に行動障害や知能低下、歩行障害などが発生しました。
その子ども達は、外部の刺激に無反応になってしまったのです。
彼らには、喜怒哀楽という「感情」が全く欠落していました。
 
「理解者」が不在であることの恐ろしさと絶望。
もうこんな悲劇は、二度と起こしてはいけない。
 
しかし同様の悲劇は大人になってからも発生すると、私は考えます。
 
今「理解者」がいないという人はいませんか?
誰も自分の「感情」を見てくれない。
自分が悲しい時に、一緒に悲しんでくれる人がいない。
自分が嬉しい時に、そのことを喜んでくれる人がいない。
 
私は自分の仕事でうまくいった時は、ついつい周りの人にそのことを話してしまいます。
周りの人が直接関与していない仕事でも話してしまうのは、
きっと私の「感情」を「理解」して欲しいからなんだろうなと思う次第です。
幸いなことに、今の職場には一緒に喜んでくれる人が多くいます。
 
ところで、大人になって得られる最大の「理解者」は、
異性のパートナーではないでしょうか?
だから人は、「色欲」という「欲望」とは全く別のところで、
「心」の「理解者」としてのパートナーを求めるのです。
 
そういった訳で、理想的な異性のパートナーを探すコツは、
どれだけ自分の「理解者」であってくれるのか、ということだと思います。
「心」を「理解」してくれようとする相手なら、
自分の「苦しみ」も共有してくれる。
だから、例え「欲」に流されて浮気心が生まれてしまっても、
そのことがパートナーを傷つけると「理解」できるし、
そして浮気を自身の「罪」として認識することができる。
 
「理解」しようとしてくれるのか、「理解」する気がないのか、
この2つには天地ほどの差があるのです。
 
私もそうでしたが、恋愛下手は自分にだけ「関心」があり、
相手の「心」を「理解」しようとはしない。
「君は僕にとっての太陽だ!」と言っているようでは、
きっと碌な「恋愛」はできないでしょう。
 
そうではなくて、自分と同じ人間として自分と同じように相手の「心」に関心を持ち、
相手の「心」を「理解」しようとすることが、「恋愛」の秘訣だと私は考えます。
 
なにしろ、この「モノ」だらけの世の中で、
「理解者」の存在は本当に本当に希少なんですから。
 
 
「理解者」に出会えなければ、
自身の「感情」は表に出る機会を失い、徐々に幽閉されていく。
そしてやがては、「感情」と分離され「モノ」のように生きていく他なくなるでしょう。
 
「理解者」を見つけましょう。
「理解者」になりましょう。
 
「理解」こそが、断絶されたこの「世界」において、
「心」と「心」をつなぐコネクターの役割を果たすのです。