うまい「文章」を書く方法を「考察」する

今回で、575日目のブログです。
私の描く「文章」は、一つ一つの分量も多く、
文字数だけで言ったら途方もない「文章」を書いてきたことになります。
 
そのような「文章」のアウトプットの経験から、
私なりのうまい「文章」の書き方を、一旦まとめてみようかなと思った次第です。
 
まあ、誰かに教えると言うよりは、
自分なりの気にとめているポイントを「見える化」することで、
現在の「文章」の腕前を見つめ直し、今後の更なる精進を目指したいと考えています。
私の「文章」は、もちろんまだまだ発展途上です。
 
ですが、「こんな文章を描けたら死んでもいい!」という文章をいつか描きたいと思っています。
 
さて、まず「文章」の「目的」や「本質」を明確にするところから。
「目的」という観点からから考えると、
「文章」は2つの種類にわかれるのではないでしょうか。
すなわち、「他者に伝えるための文章」と「自分を表現するための文章」。
 
前者には、相手によく伝わる読みやすい文章スキルが必須です。
そして、相手の「心」を動かす興味深いコンテンツであることも。
更にもう一つ必要なエッセンスは、「文章」のなめらかさです。
 
順に説明していきましょう。
 
(1)相手によく伝わる読みやすい文章スキル
  私は、文章の中で何が何にかかっているのかに注意を払っています。
  例えば以下の文章は、どちらが読みやすいと感じるでしょうか?
  (a)いつも私はブログのネタを考えています。
  (b)私はいつもブログのネタを考えています。
  微妙に(b)の方が読みやすいと感じませんか?
  「いつも」がどこにかかっているかを考えてみて下さい。
  かかっている対象に近づけた方が読みやすい訳です。
  この場合、「いつも」は「ブログのネタを考えています」にかかっています。
  頭の中に思い浮かんだ順番で言葉を並べてしまうので、
  どうしても読みにくい順番になりがちです。
  一度文章を書いたら、読み手の視点で読み返す必要があります。
  また、「読点(、)」の置き方も重要です。
  完璧な「言葉」の順番というものは、どだい無理な話なので、
  「読点(、)」をうまく使って文章を読みやすくします。
  
(2)相手の「心」を動かす興味深いコンテンツ
  こればかりは、難しいですね。
  私は頭に何か面白い描きたいコンテンツが思い浮かんだら、
  常にスマホのメモ帳にメモるようにしています。
  ネタを蓄えることが肝要です。
  あるいは、文章やコメントへの返事を書いているときに、
  「あ、これ書きたい」と感じることがあります。
  その時には、バラした単語帳の紙があるので、
  そこにメモを書いてケースに入れておくようにしている次第です。
  相手の「心」を動かす興味深いコンテンツを書きたいと思ったら、
  最低限自分の「心」が、「面白い」「描きたい」と動かねばなりません。
  嫌々書いている文章では、人の「心」は動かせない訳です。
  そのためには、以下の2つの準備が必要だと思います。
  (a)「知的欲求」「好奇心」を備えること
  (b)書き続けること
 
 一つずつ解説していきます。
  (a)「知的欲求」「好奇心」を備えること
   これがなければ、人の「心」を動かすコンテンツは湧いてこないと思います。
   「好奇心」が薄れてしまっている人は、「世界」のことをわかっているつもりの人です。
   「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言います。
   どうして「経験」から学ぶと「愚者」なのかと言うと、
   「愚者」は「経験」で「世界」を学んだつもりになってしまっているからです。
   私なんかは、
   「世界」には一生かけても学びきれないめっちゃ面白いコンテンツが
   無数にあると考えています。 
   では、どうしたら「好奇心」を持つことができるのか?
   それへの私の回答は、例えば(b)の「書き続けること」です。
  (b)書き続けること
   書くという行為は、自分の「心」のうちを鏡に映す行為です。
   (関連過去ブログ:「描き」続けると、「確変」します
   日記でもブログでもなんでもよいので書き続けていれば、
   自分の「心」が強く惹かれる本当に欲しているものが見えてきます。
   そこにフォーカスを当てれば、再び「好奇心」が湧いてくると考える次第です。
   また「好奇心」の対象に向かって書き続けていると、
   日々の生活からネタを発見する「アンテナ」を磨くことができます。
 
(3)「文章」のなめらかさ
  少しの心配りで、「文章」のなめらかさが変わります。
  私が気を使っているのは、
  「です」と「ます」の文章をなるべく交互に記載するということです。
  「です」や「ます」が連続すると、引っ掛かりのある読みにくい文章になります。
  これは理屈じゃないんですよね。
  人間の持つ感覚のレベルの話だと思います。
  「です」や「ます」が連続する文章は、
  なんだか小学生の作文のような風味が出てしまうのです。
  例えば・・・
   私は森の道を歩いていました。
   そうしたら、熊に出会いました。
   私はとてもびっくりしました。
  どうです?なんか知性が感じられないでしょう?
  これを「です」「ます」交互の文章に直すと以下のようになります。
   私は森の道を歩いていました。
   そうしたら、熊に出会ったのです。
   私はとてもびっくりしました。
  どうですかね?少し引き締まった感じがしませんか?
  人間の脳は、繰り返しが続くことを嫌うようです。
  ただ、実際に「です」「ます」交互をやってみると、
  すべてこれで文章を書くことは不可能だと気づきます。
  そういう時は体言止めを間に使ったり、
  とにかく同じ文末が繰り返さないようにする訳です。
  また、長すぎる文章は、文を改めて短く分割します。
  長すぎる文章は、読み手の脳に負担を与えますから。
 
 
最後に、文章のもう一つの目的である「自分を表現するための文章」について描きます。
まず、「心」で感じていることや想っていることは「アナログ」であり、
それを「言葉」で表現する行為は、
「アナログ」を「デジタル」に変換しているに等しいことだと認識すべきです。
 
ですから、私たちが「自分」を「言葉」で表現しようとすると負荷が生じます。
そして明確に、「自分」を「言葉」で表現することには、「上手い下手」が存在するのです。
 
「心」は「アナログ」で、「思考」は「言葉」を使った「デジタル」だと私は感じています。
ということは、
私たちが「思考」で「自分」を理解しようとするときにも
「上手い下手」が存在すると推察できる訳です。
 
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
 
「人生」において「幸せ」を手にするには、私は「己」を知ることが必須だと考えています。
という訳で、「書く」ことは「己」を「思考」で知るためのトレーニングになるのです。
そして「書く」ことが上達すると、目の前の霧がだんだん晴れて、
「幸せ」への航路が観えてくるのかなと考えています。
この世界で何かを成し遂げている人達は、文章が上手いです。
皆、うならせる内容の本を書いているでしょう?
 
という訳で、うまい「文章」を書く方法について、描いてみました。
自分で描いていて気づくのは、まだまだ自分の文章も磨きが足りないということです。
 
引き続き精進して、また少しレベルが上がったなと感じたら、
再度このテーマで記事を描きたいと思います。
 
描くことは、自分を「鏡」に映すこと。
今回は、自分の文章レベルを客観的に観ることができました。