「霧」の向こうに

私は「本質」が大好きです。
 
ずっとずっと、このブログでは、いやブログを描くずっと前から、「本質」を探していました。
 
高校時代は、昼休みをクラスで過ごすのでなく、
図書室に行って科学書を始めとした心理学・哲学・思想等の本を読んで過ごしたものです。
書籍が見せてくれる「世界」の「本質」に、冒険家のようなワクワクを感じていました。
 
そんな訳で私は、「本質」については多少嗅覚が働くつもりです。
 
さて、最近職場の仲間に紹介して頂いた1冊の本があります。
その本の名前は、「リヴィング・ウィズ・ジョイ」。
サネヤ・ロウマン著、マホロバアートというところが出版しています。
 
この本には、非常に非常に「世界」と「人生」の「本質」が詰まっているのです。
ハイヤーセルフ」の言葉という「スピリチュアル」な世界観で書かれていますが、
中身を読んで私は本当に感動するくらいびっくりしました。
この本は、「本質」の宝箱です。
 
そういう訳ですので、この本の内容を私なりの解釈でご紹介していきたいと思っています。
当然1回では描ききれないので、シリーズものとして少しずつ記事にするつもりです。
 
私のブログ記事を読まれて、興味を持たれた方は是非書籍も購入してみて下さい。
私の記事に反応される方であれば、本当に多くの「発見」を得られると思います。
一気読みは絶対にできないほど、中身がめちゃくちゃ濃いです。
かと言って、難解な言葉で書かれている訳ではありません。
例えも効果的に使って、とても平易な言葉で書かれているのです。
それでも、哲学書のような難解な書籍慣れした私であっても、
読み進めるのにはものすごい時間とエネルギーを要しました。
 
ちまたによくある、字数稼ぎ上等の中身スカスカの本と違って、
ほとんどの文章にマーカーがひかれるほど、「本質」や「気づき」の濃度が高いのです。
私はこの本を手に入れ、「人生」の海図を得たと確信しています。
 
さて、今回ご紹介したいお題は「人生」において、
「明晰」であろうとすることです。
(「リビング・ウィズ・ジョイ」の14章)
 
世間一般によくある議論で、
「行動」と「思考」と「どちらが先か」というテーマがあります。
 
「会社組織」においては、「行動が先」がよいとされています。
「行動」して短いサイクルで「結果分析」して、失敗したらすぐに違う方法に切り替える。
「会社組織」は、生きるか死ぬかの野生動物同等の「弱肉強食」の世界に存在しています。
ですから周囲のスピードも死にものぐるいで早く、
それについて行くなら「行動が先」が望ましいのです。
走り出してから考える。
それは、「会社組織」には、
組織を率いる判断能力を有するリーダーや、
多種多様な資質を持つ複数の人材がいるからできる芸当です。
 
最近、「ウサギとカメ」の例ばかり出して恐縮ですが、
例えば、このお話に出てくる「ウサギ」が社長のワンマン経営の会社があった時、
あなたは、そこに入社したいですか?
 
少し儲かったら「もう寝るわ」なんて言う社長の会社に入ったら、
競合会社「カメ商事」に負けて、倒産するのは目に見えていますね。
 
普通の現在進行形で生き残っている会社組織は、
既にある程度の「明晰さ」を持っている前提があるので、
「考える」よりも「行動」することが肝要だと言える訳です。
 
しかし個々人においては、「行動」する前に「考える」ことが重要となります。
もちろん、「考え」続けてある程度の「明晰さ」を備えることができれば、
瞬時に大胆な「行動」を判断して、人生の「成長」スピードを最大化することも可能ですが。
でも最初は誰だって、「考え」てから「行動」しないと、
大きな大きな遠回りをすることになります。
いや、遠回りで済めばよいですが、
同じ場所を堂々巡りして「人生」の多くの時間を浪費してしまう恐れすらあるでしょう。
 
その状態は、一つの場所に留まり続けている地縛霊みたいなものだと思います。
ちまたで言われている地縛霊とは、
私たちが「心」の底で無意識に忌避している状態の「投影」なのだと思う次第です。
 
地縛霊の出てくるお話での定番は、
「そこに留まっていないで、早く成仏しなさい。あなたは、もう死んでいるのよ。」
という呼びかけ。
 
しかし同様に、私を含めて多くの人々も自問自答しないといけないのかもしれません。
「私は現状に囚われて、その場に留まり続けていないか?今の私は、先に進んでいるか?」
 
「ウサギとカメ」の「ウサギ」のように、その場に眠りこけているのなら、
飛び起きて歩き出しましょう。
その場に眠りこけて、よい夢を見れているのかもしれませんが、
「人生」という山道においては、それは一歩も進んでいないということです。
 
話を元に戻しますが、だからと言って闇雲に走り出せばよいというものでもありません。
眠り「ウサギ」が飛び起きて、寝ぼけながらも慌てて走り出し、
ゴールとは全く違う方向に行くことだってあり得るのです。
この人間社会には、誤りの「罠」が数多く存在します。
周りから聞こえてくる「嘘つき情報」に騙されて、あらぬ方向に行ってはダメです。
あらぬ方向どころか、ガケから落ちて激しく傷ついてしまうことだってあり得ます。
「人生」は、とても短いのですよ。
 
私たちは、一人一人「霧」の中を生きています。
「明晰さ」を養うとは、この「霧」の先を少しでも遠くまで見通すことです。
 
想像してみて下さい。
深い「霧」の中、あなたは船の船長です。
「よくわからないけど、こっちへ行こう!」なんて言えますか?
まずは動かず海図とにらめっこして、
「霧」の先に何か障害物はないか、目的の方向はどちらなのか、を考えるはずです。
 
また「明晰さ」は、「経験」とは全くの別物です。
ある程度の年齢に達したら、多くの「経験」が積まれていきます。
もちろんその積み重ねた「経験」は、「宝」です。
今まで私たちが歩んできた道のりの結晶です。

しかし、もしその「経験」のみに基づいて今を「行動」をしているとしたら、
それは、同じ場所を堂々巡りしているに過ぎません。
 
新しい場所に恐怖を感じるかもしれませんが、
山道は登れば登るほど美しい景色が広がるのです。
 
「経験」は「宝」でありますが、「重し」でもあります。
痛い目を見た「経験」が、あなたの足を止めようとするでしょう。
「経験」を積めば積むほど、「先に進む気力」と「好奇心」が失われていきます。
 
「地縛霊」さん、大丈夫です。怖くないです。
さあ、先に進みましょう。
きっと涙が出るほど感動する綺麗な景色が広がっていくはずですよ。
 
「カメ」にあって、「ウサギ」にはないもの。 
それは「明晰さ」です。
そう言えば「カメ」は、よく賢者に例えられますね。
 
「カメ」のようにじっくり考えて、本質的にゴールを捉えて、
そして一歩一歩、歩いていけば、迷うことなくゴールに近づけるのです。
「ウサギ」のように慌てて走る必要はありません。
道中の風景を楽しむのも、私たちがこの「世界」に生まれた「意味」なのだと思う次第です。