ライティング・モンスター

私のプライベートの日常において、
「書いている」時間の割合はものすごく大きいです。
 
「描く」ことは、私に「喜び」と「力」を与えてくれます。
なぜなら「描く」ことには、私にとって以下のような「意味」があるからです。
(1)自分を「表現」する
(2)自分の頭や心の中を「校正」する
(3)自分と「対話」する
 
それぞれ見ていきたいと思います。
 
(1)自分を「表現」する
  私は、人に対して自分の「本心」を日常的に表現することができません。
  「イヤなこと」も腹に貯めて、いよいよ収まり切らなくなったらたまに「キレる」と。
  自分の「本心」を素直に表現できている人が羨ましいです。
  そんな私は、「描く」ことで自己表現することを見つけました。
  たまに「キレる」人って、すごい引かれると思いますけど、
  それは日常の「本心」を伝えることができないから起こるのです。
  「キレる」時の人格ばかりに注目しないで、
  日常で「イヤなこと」を相手に伝えない「優しさ」というか「弱さ」の方も
  その人の本体だと思って頂けると嬉しいなぁって思います。
  とにかく私は「描く」ことに出会って、自分を健全に表現する方法を手に入れたのです。
 
(2)自分の頭や心の中を「校正」する
  校正するとは、ウィキペディアにはこう書いてあります。  

印刷物等の字句や内容、体裁、色彩の誤りや不具合を、あらかじめ修正すること。
  アウトプットしたばかりの自己表現は、荒削りです。
  整理されていないところもたくさんありますし、
  「それ違うよね」って後から突っ込みをいれるところもあります。
  ですから、「校正」をする必要があるのです。
  そうすると、自分の想いや考えが、
  本当の自分の「ハート」が納得する内容に精錬されていきます。
  自己表現した内容を「校正」することは、「描く」ことの非常に重要な「本質」です。
  なお、この「校正」機能は、誰の目にも触れない日記では十分に発揮されません。
  そういう意味では、誰かに見てもらえる可能性のあるブログは、
  私のように、「自己表現」不足に苦しんでいる人には、とても有効な手段です。
 
(3)自分と「対話」する
  あなたは自分と「対話」したことってありますか?
  なかなかそんな器用な人は少ないと思いますが、
  「描く」ことができれば、それは可能です。
  「対話」は、「校正」の中で起こります。
  「あれ?自分って本当にこんな風に思っているのかな?」とか、
  「ここはわかったつもりでいたけど、ちゃんとは理解していないな」とか、
  「ああ、勘違いしていたわ」とか。
  感情を持つ本体の自分と、少し離れたところから自分を見ている自分。
  「描く」ことで、この2人の「対話」が成立するのです。
  また、過去の自分と話すこともできます。
  たまに、私の過去のブログにコメントを頂いたり、
  ツイートして頂いたり、私のブログのリンクを貼って頂いたりすることがあるのですが、
  その通知をメールで受けて、私はその時の記事を久しぶりに読むことになるんですね。
  その時に、その記事に教えられることがたくさんあります。
  不思議なことに、それは自分が悩んでいることに対する回答だったりするのです。
  やっぱり「校正」が入っているから、
  素の自分と「校正」を入れた自分との間にギャップがあり、
  そこに教えられる部分というのは大きいのだと思います。
  「校正」をする自分は、誰よりも的確なメンター(相談者)です。
  過去の自分と「対話」できることは、「ブログ」の優れた機能だと思います。
 
と言う訳で、
私は、「表現」→「校正」→「対話」という「成長サイクル」を発見しました。
「ブログ」という表現ツールを活用した、なかなか有効な手段です。
「ブログ」を描き始めた頃に比べると、明らかに変質している今の自分がいます。
 
そんな訳で、私は取り憑かれたように文章を描いている次第なのです。
「喜び」や「学び」が多くて、やめられません。
「描く」時間は、私が見つけた私の「幸せ」。
 
何事も極めれば、何かが宿ると言います。
その域まで、一生をかけて極めてみたいです。