日本発、世界で頑張っている「雑草」
グローバル化に伴い、日本勢は苦境に立たされています。
何の話かというと、「雑草」の話です。
私は「雑草」の図鑑を持っているのですが、
道ばたに生えている「雑草」の7割くらいが外来種じゃないかという感触を持っています。
それほどまでに、日本固有の「雑草」は苦境に立たされているのです。
今、日本の風景は確実に、江戸時代から変わってきています。
昔のススキ一面の風景には、今はセイタカアワダチソウが繁茂している訳です。
古来からの日本の情緒は、失われつつあります。
(関連ブログ:「セイタカアワダチソウの仁義なき戦い」)
今の雑草の現状を会社に例えると、
日本の路面店の7割が外資系の会社になっているイメージです。
実際の路面店でも、
マクドナルドやケンタッキーフライドチキンをよく見かけます。
町中の風景でも、
外国から来たセイヨウタンポポやナガミヒナゲシをよく見かける訳です。
(関連ブログ:【雑草界のルーキー】ナガミヒナゲシ)
(関連ブログ:外来種の「雑草」から経営のヒントを見出す)
このように、日本に上陸した外国勢は、なかなか手強い相手となります。
しかし「我が日本勢は、情けないなぁ」と落胆するのは早計です。
トヨタやソニーのように、海外で頑張っている日本発の「雑草」もいます。
「世界の侵略的外来種ワースト100」というリストがあります。
国際自然保護連合(IUCN)の種の保全委員会が定めた、
本来の生育・生息地以外に侵入した外来種の中で、
特に生態系や人間活動への影響が大きい生物のリストです。
是非、ウィキペディアをご覧下さい。
このワースト100の動植物が全て、写真と共に解説されています。
読んでいて、とても面白いです。
(ちなみに「日本の侵略的外来種ワースト100」はこちら)
上記の「世界の侵略的外来種ワースト100」を見ますと、
日本産の雑草もいくつか登場しています。
「イタドリ」や「クズ」です。
日本出身の彼らは、世界で活躍(?)しています。
(「イタドリ」のウィキペディアはこちら)
(「クズ」のウィキペディアはこちら)
以下の共同ニュースによりますと、「イタドリ」はイギリスで活躍(?)しているようです。
「英、タデ食う虫を日本から輸入 天然除草剤に」
以下、引用します。
19世紀に観賞用として日本から持ち込まれ、
英全土に広がって在来植物を駆逐しているタデ科の植物イタドリの駆除のため、
日本からこれを枯らす虫を輸入し放つことが9日決まった。
英環境・食料・農村省が明らかにした。同省によると、
外国の虫を天然の除草剤として使うのは欧州で初めて。
イタドリは日本など東アジア原産の多年草で高さ約1メートルに成長する。
アスファルトを突き破って成長するため、
英国全体で駆除や道路補修などに年1億5千万ポンド(200億円)かかっている。
かなりヤンチャをしていますね(汗)。
年に200億円の損失とは・・・。
一方の「クズ」は、アメリカで活躍(?)しています。
以下は、ウィキペディアからの引用です。
北アメリカでは、
1876年にフィラデルフィアの独立百年祭博覧会の際に日本から運ばれて
飼料作物および庭園装飾用として展示されたのをきっかけとして、
東屋やポーチの飾りとして使われるようになった。
さらに緑化・土壌流失防止用として政府によって推奨され、
20世紀前半は持てはやされた。
しかし、繁茂力の高さや拡散の早さから、有害植物ならびに侵略的外来種として指定され、
駆除が続けられている。
現在では「クズ」の成育する面積は3万 km²と推定されている。
アメリカ合衆国の国土面積は、985万km²です。
このうち3万 km²が、日本産の「クズ」の進出を受けています。
以下、「クズ」に侵略(?)されているアメリカの風景の写真です。
ものすごいことになっていますね・・・
これじゃあ、「世界の侵略的外来種ワースト100」に指定されるのも無理のない話です。
日本では、こんな風景にお目にかかれません。
向こうには、競合する「雑草」や「天敵」がいないのでしょうか?
という訳で・・・
まあこのように、日本も世界も、風景はどんどん変わっていきます。
「弱肉強食」。
強い者が生き残っていくのが自然の摂理ですので、仕方がないような気もしますが、
「多様性」が失われていくのは、寂しいことでもあります。
人間においては、どうでしょうか?
人間の世界では、今「外部情報・価値観(ミーム)」がヤバイと思います。
インターネットの影響で、個々の思想や価値観が「多様性」を失いつつあるのです。
「雑草」における「グローバル化」のように、
インターネットが個々の思想や価値観への参入障壁を撤廃しています。
結果として、より「強い」思想が、より「弱い」思想を駆逐していくのです。
人や生命の「価値」は、「強弱」だけでは測れないものがあります。
「強弱」だけで消えていく存在があるとしたら、それは大切な「価値」の損失です。
この均一化の大きな波に流されないように、
我々個々人は自身の思想や価値観を、今まで以上に「考察」して育む必要があります。
私もここで、深く根を張った一本の「雑草」のように、
しぶとく独自の価値観を発信していこうと想う次第です。
皆と同じ「強い」価値感を持つことは安心ですが、
それにより消えてしまう「価値」もあります。
それは、「希少性」という「価値」です。