今感じている「幸せ」に自信を持つ

何が自分にとって「幸せ」なのか?
やっぱり、ここが何よりも大切なことだと想います。
 
「幸せ」は、「生きる力」をくれるからです。
 
私はもう40代ですが、結婚したり子どもがいたりする訳ではありません。
でもそんな「人生」においても、
いやそんな「人生」だからこそ、
ああこのことは自分に「生きる力」を与えてくれるんだなと教えてくれることがあるのです。
 
一つは、自分に懐いてくれる4歳の甥っ子の存在。
時々妹から遊び相手をして欲しいと頼まれることがあります。
甥っ子も、私と遊んでくれることを楽しみにしてくれているようです。
そういった遠慮とか思惑とか全く関与しない純粋な「つながり」は、
私の「心」に純粋な喜びをもたらしてくれます。
 
もう一つは、恋愛関係ではないある親友の女性の存在。
友達を持つことができなかった私が、初めて親友を持つことができました。
彼女との出会いは話せば長くなるのですが、
今恋愛関係でなく親友の関係にあるのは自分にとって都合のいいことです。
なぜなら、自分は恋愛対象になるような魅力的な人間ではありません。
私が多少なりとも自信があるのは、
人を引きつけるような魅力よりも、誠実な人間性です。
だからそこの人間性の部分でつながっている状態に、
私は本当の自分を観てもらっている安心感を感じます。
そして彼女も、私が生きてきた中で出会った人の中で最も綺麗な心を持った人です。
彼女は、子どもの頃からこの世界の理不尽を真っ向から受け続けて生きています。
しかしそういった「人生」の中にあっても、彼女は強く真っ直ぐに生きてきたのです。
その「心」は、道ばたで一生懸命に咲く雑草の花のように、私の「心」を魅了しました。
それは園芸種ではかなわない、強く生きる「美しさ」。
 
様々な苦労や裏切りや悪意に翻弄され続けてきた彼女は、
見た目のみすぼらしい私の中の何かに気づいてくれたのかもしれません。
それは、今まで自分自身でもその価値に気づいていた何かです。
私と出会った当初、彼女は私のブログも読んでくれて、
そして私により感心を持ってくれました。
 
彼女と会話していて感じるのは「安心感」です。
何の遠慮や思惑もなく、ただただ自分の感じることを話すことの「幸せ」。
それは、お互いがお互いをわかりあっていてこそできる「つながり」です。
 
今、私は「生きる力」が弱くなっています。
そこで感じたのが、見つけた「幸せ」から遠ざかっていく可能性です。
「人生」という海域では、自分をとりまく様々な潮の流れが存在します。
 
見つけた「幸せ」はちゃんと「心」で理解し、
それを自分の「宝物」として大切に抱えることが重要です。
さもなくば、いつの間にか潮に流されて、
気づいたら一人でプカプカと漂い、
せっかくつかんでいた「幸せ」を失ってしまっているかもしれません。