「怒り」を「幸せ」に

『「人生」は釣りの如(ごと)し』と、
私は以前のブログ記事で述べました。
 
「知識」という釣り竿を様々に揃え、
「考察」というエサを練り込み、
「経験」という魚を釣り上げる。
 
以前練り込んだ「考察」に、
「経験」が引っかかりましたので、
そのことを描こうと思います。
 
以下は、私が以前「考察」したライフ・マトリクスという図です。

 
当時私は、「幸せ」とはこの2軸で測られるものであり、
右上の方向に行けば行くほど、「幸せ」になると考えました。
(詳しくは、過去ブログ『二つの「幸せ」軸』をご覧下さい)
 
縦軸の「努力(自己実現)」は、
マズローの欲求5段階説」でも語られている割とポピュラーな「幸せ」です。
(詳しくは、過去ブログ『「日本」という社会で「自己実現」するために』で解説しています)
 
私の考えたライフ・マトリクスでは、
自己実現」の軸に、もう一軸加えました。
それが、「与える」「奪う」の軸です。
 
人間にとって、「奪う」よりも「与える」方が価値があります。
例えば、以下はアインシュタインの言葉です。
「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」
(この言葉を解説した過去ブログは、こちら
 
コンプレックスや虚栄心等の「不足」を感じるから、人は「奪う」のです。
しかし自身が「充足」していると感じているとき、
人は惜しげもなく「与える」ことができます。
 
この「充足」の状態に持って行くにはどうすればよいか?
「奪う」ことでは、いつまで経っても「充足」できません。
逆説的ですが、「与える」ことで自らも「充足」するのです。
 
さて私は、なかなか縦軸の「自己実現」の方向に向かえず悩んでいました。
「怠惰」であったのです。
 
しかし、この「ライフ・マトリクス」の「考察」から4年の月日が経ち、
私は「自己実現」の「経験」を釣り上げました。
 
今回「自己実現」を体験できた私の要因は、「怒り」でした。
私の所属する組織に「理不尽」なことが起こり、私は「護りたい」と考えました。
 
このブログに多く綴っていますが、私は「理不尽」が嫌いなのです。
私の「魂」の原型である「理不尽嫌い」が、私の「心」に火を付けました。
そして実際に、多くの貢献ができていると感じる次第です。
 
もし私が、「マズローの欲求5段階説」を知らずに、今回の「経験」をしたならば、
きっと「頑張った」という感想を持つぐらいで終わっていたと思います。
「魂」の糧となるはずの「経験」は、次々に流れてくる日常に紛れて忘却の彼方に。
 
しかし、私は「マズローの欲求5段階説」という釣り竿を揃えておりました。
ですので、この「経験」を「自己実現」として認識することができたのです。
そして、「ライフ・マトリクス」という「考察」を行っていたので、
この「経験」の食べ方も心得ていました。
 
かくして私は、今回の「経験」を自分の「魂」の「糧」にできそうなのです。
お陰様で大切な「経験」を、みすみす逃さずに済みました。
 
食して得た栄養は、今回の要因の「怒り」についての「理解」です。
 
「怒り」は、重要な「自己実現」の推進力に成り得ます。
もちろん推進力は、人によって様々である可能性がありますが、
少なくとも私のような「魂」の型の人間には、「怒り」が効くようです。
 
しかし、私の「怒り」は今まで発火しなかった。
それは「奪う」方向に、私の「魂」が向かいにくいからです。
 
今回「護る」方向に向かった私の「怒り」は、見事発火点を超えて燃え上がりました。
 
エウレカ
そうか、こうすれば「ライフ・マトリクス」を昇っていくことができるぞ!
 
今回の「経験」は、私にとってはアルキメデスの発見並みの大発見なのです。
ものすごい大魚を釣り上げました!