「お金」

「お金」は、現代社会において重要な価値観を形成しています。
 
「お金」は、単なる紙や金属ですが、
そこには原価以上の価値が乗せられている訳です。
 
「宗教」が人々の絶対の価値でなくなった現在、
お金だけが人々の見上げる灯火として、今なお煌々と輝いています。
もちろん他にも生きていく上で重要な価値観となる輝く星々もあるのですが、
お金は満月(下手したら太陽)の輝きで、他の星々の輝きを奪ってしまうのです。
 
ちゃんと目を凝らさないと、他の星々の輝きに気づくことができません。
本当は、月や太陽よりも、星の方が実際のサイズは巨大なんですけどね。
 
さて、人々は生まれるとまもなく勉強というものを始めます。
「なんのために勉強をするの?」という質問がありますが、
それはずばり将来の「お金」のためでしょう?
よい学校に合格するのは、よい会社に入るため。
 
「いや将来、幸せになるためだ」という反論もあるかもしれませんが、
その「幸せ」への筋道に「お金」を想定していることは明らかです。
 
私は、「お金」を否定する気は全くありません。
「お金」にはたくさんの長所があるから、現代の至高の道具となっている訳です。
例えば、「お金」があるからこそ、
熊本やアフリカなどの遠隔地への支援を行うことができます。
腐らず電子化できる「お金」だからこそ、
遠隔地にスムーズに価値を届けることができるのです。
もし「お金」がなければ、日本にいてアフリカを支援する方法はほとんどありません。
おにぎりをたくさん送っても途中で腐ってしまうでしょうし、
「祈り」くらいしか届けられるものはないはずです。
 
一方で長所が仇となり、短所になっている部分もあります。
上記で述べたように、お金は腐らないのが大きな長所なのですが、
そのためいくらでも貯蔵ができる訳です。
 
例えば想像して下さい。
あなたが1年かかっても食べきれないおにぎりを一時的に確保したとします。
飢えて死にそうになっている人を見かけたら、あなたはそのおにぎりを提供しませんか?
なぜなら、1年間のおにぎりを持っていても1週間も経たないうちに腐ってしまうから。
 
しかし、自身が1年間暮らしていける量のお金を持っていたとしても、
早々簡単に他の人にあげようという気にはならないはずです。
無限に貯蔵できるお金は、そこに大きな執着を生みます。
 
またその大きな執着は、人々の生き方にも大きな影響を与えているのです。
 
世界で最も貧しい大統領として有名な、
ウルグアイホセ・ムヒカ大統領は言いました。

問題は、何のために時間を使うのかということです。
子どもと過ごす時間? 家族、友人と過ごす時間? 自分の人生を生きる時間?
もしも、もっと働いてお金を稼ぐための時間が欲しいなら、消費社会に支配されています。

 
私には、「お金に価値観が偏りすぎ!」という風に読めました。
 
過ぎたるは及ばざるが如し。
 
もっと「お金」以外の価値にも目を向けたいものです。
例え、この現代社会において「お金」の価値が
真昼の太陽のようにギラギラ輝いていたとしても、
私達は目を懲らして、
自分自身の「幸せ」につながる価値を探し当てる必要があるように感じます。