「記憶」と「記録」

今日で、804日目のブログとなります。
 
ここまで文章を重ねると、
ツイッターで私の過去記事を紹介してくれる人もいて、結構楽しいです。
 
ツイッターで私の記事を紹介して頂くと、
私に通知が来るようになっています。
 
そういう通知が来ると、やっぱり気になりますよね?
「どんな記事を紹介してくれたのかな」って。
そうして、自分が過去に描いた記事を読み返すのです。
 
読み返すと、他の人が描いたんじゃないのって思うくらい、
自分の記事が新鮮だったりします。
「あれ、こんなこと描いたっけ?」みたいな感じで、
人間の「記憶」って全然完全じゃないんだなって再認識させられます。 
 
「記憶」が完全じゃないから、
「記録」に価値が生じるのです。
 
「記録」を積み重ねておくと、
1年前の自分を他人のように感じることに気づきます。
 
それだけ、人の「心」は移り変わっているのです。
この「心」の遷移の感覚は、決して記憶で得ることはできません。
 
これが「生きる」ということなのかな?
自分を客観的に離れて見つめるとわかります。
 
ああ、自分って頑張っているんだなって。
 
ようやく自分を認めることができるようになるのです。
 
また、過去の自分に教えられることも結構あります。
「あの時、こんな風に誓ったのに、今の自分はダメだな」って、
その当時の自分の期待に応えられていないと、
他人に叱られる以上に、シュンとなってしまうものです。
 
「こうしたいんじゃなかったの?」
「こうなりたいんじゃなかったの?」
 
真剣に悩んだ過去の自分の発言に対して、言い訳は100%不可能です。
 
このように、
自分の「記録」をとっていくと、自分にとっての資産が形成されます。
「記録」には時間投資が必要ですが、もらえる利息は結構大きいです。
 
という訳で、今回私は「人生」の「記録」をオススメしています。
 
特にオススメしたいのが、ブログによる「記録」形成です。
前述したように、ツイッターやコメントを誰かにして頂くことで、
ふとした瞬間に、過去の自分が自分の目の前に現れます。
 
この機能は、手書きの日記にはないものです。
 
先日、私は過去の自分に怒られました。
(過去ブログ:「若さ」
 
マッカーサー元帥が座右の銘にしていた「若さ」という詩。

In the center of your heart and my heart there is a wireless station;so long as it receives message of beauty,hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite,so long you are young.
When the aerials are down, and your spirits is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

あなたの心とわたしの心の真ん中には、無線局がある。
美、希望、励まし、勇気というメッセージと、
人々からの、造物主からの力を受信する限り。
あなたに瑞々しい心がある限り。

アンテナが低くなり、世をあざ笑う気持ちが雪のように積もり、
世を厭う気持ちが氷のように冷たくなってあなたの心を覆うとき、
あなたは老いてしまう、たとえ二十歳であっても。

でもアンテナを高く掲げて、屈託ない心の波動をつかまえる限り、
そこには希望がある、八十で世を去る時も、若い心でいられると。

 
いかん。いかん。
「世界」を信じるんだ。
「心」のアンテナを高く掲げて、「世界」の素晴らしさを享受するんだ。