こんな け゛ーむに まし゛に なっちゃって と゛うするの

人間(生命)は、必ず死にます。
 
そう考えると、
「どうせ死ぬんだから」と、怖いものもなくなると思うのですが、
生きているうちは、様々なものを恐れ、様々なものに囚われ、様々なものを愛します。
 
「人生」とは、砂浜で砂の像を造るようなもの。
いつか崩れて無に帰すのはわかっていても、
渾身の想いを込めてその像を造るのです。
 
考えると、これは本当にすごいことだと思います。
 
例えば夏休みの宿題で、
工作をすることがあったとしても、
多少の想いを込めることはあるかもしれませんが、
「ああ、面倒くさい」と、ある程度適当に作ってしまうものです。
 
しかし「人生」は、違います。
皆、「人生」あるいは「自分」に対して、本気で「喜怒哀楽」するのです。
そこに何らかの意味を、強烈に感じて。
 
古い話で恐縮ですが、
ファミコンのゲームで、
たけしの挑戦状」ってゲームがありました。
ビートたけしさんが監修したゲームです。
ウィキペディアは、こちら
 
このゲームに、ネット上で伝説になっているセリフがあります。
それが「こんな け゛ーむに まし゛に なっちゃって と゛うするの 」です。
 
当時このゲームの他にも、芸人や芸能人の名前を冠したゲームが多々ありました。
しかし通常は、名前やキャラクターを借りるだけで、
中身の製作には本人がタッチしていないことがほとんどでした。
 
しかし「たけしの挑戦状」は、違いました。
以下、ウィキペディアからの引用です。

しかし、チーフプログラマの森永英一郎によると、
本作ではたけしは積極参加しており、
ビートたけしと新宿の有名ホテルの最上階で何度も頭を突き合わせて作りました。
大学ノート一杯にかかれた彼のアイディアはとても印象的でした」と
自身のサイトで語っている。
「こんなに難しくしたらゲームバランスが崩壊する」と忠告はしたものの
たけしはそれを受け入れなかったため、
「とにかくビートたけしさんが言っているのだから」と
許す限りのアイデアを片っ端から盛り込んだ結果、
プレイヤーを困惑させる不条理なゲームとなり、
後述の記事にあるように
ビートたけし」のネームバリューでソフトを買った購買者の期待を
突き落とす出来となった。
ただし、「さすがたけしさん。一筋縄ではいかない」と絶賛、評価する声もあった。

また開発者のひとりである福津浩によれば、
当時のたけしがゲームに「ハマっていた」ということもあり、
「たけしが作ったゲームだが、たけしが出てこない」などと、構想を熱く語ったと言う。
通常この様な企画では打ち合わせなど一回も行われないものであったのであるが、
ホテルの部屋を借り切るなどして3回行われ、
やはりたけしも積極的に介入していたとのことである。
開発陣もたけしのアイディアを次から次へと盛り込んでしまった結果、
規格外のゲームに仕上がる結果となってしまった。
開発陣としては、このまま発売してしまってはまずいことになるとの自覚もあったが、
引くに引けない所に来ていた。

 
映画監督「世界の北野」の片鱗が、伺い知れるエピソードです。
 
このゲームの売上はおよそ80万本と、
当時のドラゴンクエスト並の売り上げを記録したといいます。
そして、センスある「クソゲー」として皆の記憶に残り、
今も語り継がれている伝説の迷作となった訳です。
 
話がものすご〜く脱線してしまいましたが
何となくこのゲームから、
ビートたけしさんの「人生観」を感じとれる気がします。
 
以下再び、ウィキペディアからのゲーム内容に関する引用です。

世界観は極めて退廃的であり、
主人公は薄汚れた町並みの中に住む世帯持ちのしがないサラリーマンである。
台詞は汚い言葉遣いが多い。
店の看板は極道的な内容で、路上にはヤクザが蔓延り、
否応なしに主人公に殴りかかってくる
(また、これを逆に攻撃して倒すこともできる。
 これに限らず、敵味方なくすべての登場人物を殴ることもできる)。

 
この世界観、北野たけしさんの映画に通ずるところがあると思いませんか?
 
我々の「人生」は、「たけしの挑戦状」並に、
本当は荒唐無稽で、ナンセンスで、不条理なものです。
 
ドラゴンクエストのような優等生なゲームで表現される、
努力したら必ず報われる世界ではありません。
頑張ったことが、不条理に踏みつけられることなんてザラにあるでしょう。
 
それでも私達は、時に汗をかき、時に涙を流して、
この「クソゲー」に真剣に毎日向き合います。
 
クソゲー」ではありますが、
この「人生」は「たけしの挑戦状」のように、
愛すべき「クソゲー」なのだと想うのです。
 
それでも、この「クソゲー」に行き詰まったら、
以下のセリフを思い出しましょう。
 
こんな け゛ーむに まし゛に なっちゃって と゛うするの