「ネット・ウェーブ」

インターネットの始まりの頃、
「ネットサーフィン」という言葉がありました。
ウィキペディアによれば、

ウェブページの閲覧において、
各ページを興味の赴くまま次々に表示して閲覧していく行動のこと。
この様子を波から波へと渡るサーフィンに見立てた造語。

だ、そうです。
 
常々私は、この造語はイケてると思っていました。
まず、サーフィンするという語感がかっこいいです。
実際には、一人薄暗い部屋でパソコンに向かってもそもそやっているだけなのに、
それをサーフィンと表現すると、
とてもスマートなことをやっているように聞こえます。
 
当時インターネットには「暗い」というイメージもあったので、
「昨日の夜は、ネットを見ていた」ということを知人に話すことに、
抵抗感を持つ人が少なからずいたはずです。
しかし、「昨日の夜は、ネットサーフィン」していたと言えば、
恥ずかしさを感じずに言えるこの不思議。
 
また、この「ネットサーフィン」という言葉が「名は体を表している」という点も、
私にとって評価の高いポイントです。
 
人の「興味」は、外部からの「波」で走り出します。
 
もちろん「パドリング」のように、
自分で「興味」を起こすこともできますが、
「興が乗る」という言葉があるように、
よい「波」を受けると「興味」は、
幸福感を味わうほどに疾走するのです。
 
そしてインターネットの「海」には、
そんな「波」が有象無象に存在します。
 
これは従来の情報取得手段である書籍では難しいことです。
書籍では、自分に「興味」があると自覚している領域に出向く訳ですが、
インターネットでは、「こんなところにも面白いネタが!」と、
想定外の方向から不意打ちで「波」がやってきます。
 
そういった環境だからこそ、
「各ページを興味の赴くまま次々に表示して閲覧していく」ことが可能になるのです。
夢中で「波」に乗っていたら、
気づいたら全然違う場所に来ていたなんてこと。私もよく経験します。
ブログ記事を書くために、ある情報を調べていると、
その情報源の関連情報に目が行き、
気づいたら別の事象に興味が移っていたことなんてしょっちゅうです。
 
サーファーは、よい「波」を求めて日々海に行くのだと思います。
私も、よい「波」を求めて、
日々インターネットの「海」に出かけるのです。
そして「波」から「波」へと移りながら、自分の「興味」を疾走させます。
 
海の「波」に乗るのも気持ちよいですが、
情報の「波」に乗るのも、なかなか乙なものです。
「脳」がとても喜び、活性化します。
 
さて今回のブログ記事は、
あなたにとって、よい「波」になったでしょうか?