「趣味」の重要性

ネットで、「ほぉ」と感心した書き込みがありました。
 
それは書き込んだ人の上司の言葉として紹介されていて、
その内容は、
「一週間に一日は趣味の時間をつくれ。
 もし現在の仕事の影響で、時間的あるいは精神的に週一の趣味を続けられなくなったなら、
 今の仕事から転職すべきだ。」
というものでした。
 
この上司は「人生」の本質を見定め、
「人生」に明確な基準を設けているんだなという感銘を受けました。
 
何が正しいかわからないこの世の中で、
周囲やマスメディアに影響されない自分だけの価値基準を創ることは、
とても重要だと私は思うのです。
 
「自分は、どう生きるのがよいのか?」 
あなたは、そこのところをちゃんと持っていますか?
 
もちろん答えなんてないのですが、
それを見定めて、「心」が納得する答えを仮決定することが重要です。
 
今現在「資本主義」という「お金信仰」が幅を利かせています。
なんだかよくわからないけど「お金」がたくさんあることがよいことだという風潮。
 
しかし「お金」は単なる道具なので、
「お金」を使って何をしたいのか?というもう一歩踏み込んだところまで見定めていないと、
蜃気楼のオアシスを追う旅人のように、
その「人生」は渇望の旅となる恐れがあります。
 
いくら「お金」持ちになったところで、上には上がいる訳ですから。
そうではなくて、「お金」でこうしたい!というものがあれば、
その額を達成した段階で、その旅のゴールが具体的に見えてきます。
 
「人生」で目指すゴールによっては、
もしかしたら「お金」もそんなに必要ないかもしれない訳です。
 
とりあえず「お金」は生活できるだけあればよい。
その代わり、やりたいことのために「時間」はこれだけ必要だ。
 
この考え方が、冒頭で紹介した上司の考え方です。
 
実際問題、個々人が等身大の「やりたいこと」を想定した場合、
そこまで「お金」がかかるものはないと思います。
 
個々人の「やりたいこと」の多くは、
「趣味」という言葉で括れるような、
そんなささやかなものになるはずです。
 
その「趣味」が、他者から見て立派かどうか気にする必要なんてありません。
 
例えば今現在の私の趣味は、この「ブログ」と「ポケモンgo」です。
「ブログ」はともかく、
ポケモンgo」にはまっていると聞くと「えぇ・・」と思う人もいるでしょう。
しかし、他者の視線を気にしていては、
この「人生」を楽しみきることはできないと思います。
 
とかく同調圧力の強い日本社会においては、
「本当は自分はこれがやりたんだ!」と
恥ずかしげもなく考えることが困難です。
 
「職に貴賎なし」と言いますが、「趣味のも貴賎なし」だと思います。
 
どんなにちっぽけなことでもいい。
「自分は、この人生でこれをやりたいんだ!」というものが見つかれば、
地に足の着いた「人生」を送れるようになると思います。
 
漠然とした妄想から抜け出して、具体的な目的地を見つけることで、
蜃気楼を追う渇望の旅から、ようやく解放されるはずです。