「君がいてくれて、ありがとう!」

前回、「自己肯定感」についてのツイッターのつぶやきをいくつか紹介しました。
 
要点は、2つ。
(1)「自己肯定感」とは、「自分はすごい!」と思うことでなく、
 いいところ悪いところも含めて、ありのままの自分を肯定するということ。
(2)「自己肯定感」は、「精神的免疫」と呼べるような機能を有し、
 他者から理不尽な要求をされたり傷つけるようなことを言われても、
 「自己肯定感」があれば、それを跳ね返すことができるということ。
 
「自己肯定感」は「精神」の免疫であるため、
「精神」の「健康」になくてはならないものだと、私は考えます。
 
では「自己肯定感」を持つとは、どういうことなのか?
そして、「自己肯定感」を持つためには、どうしたらよいのか?
自分なりに「考察」してみました。
 
まず「自己肯定感」を持つとは、どういうことなのでしょうか?
それは、「よい部分」も「悪い部分」も含めて、
ありのままの自分が好きなことだと思います。
 
自分の「よい部分」だけを好きになることは簡単です。
そうではなくて、「悪い部分」も好きになること。
これができて初めて「自己肯定感」なのだと思います。
 
ところで自分の「よい部分」のみを好きな状態というのは、
本当に自分のことを好きと言えるのでしょうか?
 
違いますよね?
自分の中に嫌いな「悪い部分」があるから、
「よい部分」ばかりに目を向けようとするのです。
この状態は、美化した自分に現実逃避しているだけであり、
「自己肯定感」からはほど遠い状態だと思います。
 
そう考えていくと、何か根本的に自分の価値観を変革しないと、
ありのままの自分を好きになることはできないんじゃないかなと、私は考える次第です。
単に「よし、悪い部分も好きになろう!」という簡単な取り組みでは、
「自己肯定感」を持つには至らないということ。
 
そもそも、自分の中に「よい」部分「悪い」部分があるという考え方自体が、
自分を認めていないことだと思います。
 
とは言え、自分の中に「悪い」部分があるという考え方。
この考え方も私達に重要であり必要です。
それは、社会という環境に適応するため、そして自身の成長のために。
「悪い」部分を嫌だと感じ、それを改めようとあがくことに、
「生命」の「生きる」輝きがあると私は感じます。
 
しかし、それと同居する形で、
「自分、大好き!」という「自己肯定感」を醸成する必要があるように思うのです。
 
子どもを持った人、ペットを持った人、ならわかると思うのですが、
「君がいてくれて、ありがとう」というあの感覚。
この感覚を自分に対しても持てないかな?と考えます。
 
多分この感覚を体得できる人でないと、「自己肯定感」を持つことは難しいです。
例えば、テレビCMの影響でチワワがブームになった時期があったのですが、
コンビニの駐車場でチワワを怒鳴りつけて蹴っている飼い主を見たことがあります。
こういう人は「自己中心的」であるが故に「自己肯定感」も強そうですが、
チワワに対してすら「よい」「悪い」で判断している訳で、
とうてい自分に対して健全な「自己肯定感」を持てているようには思えないのです。
おそらく全てのことに対して、
「よい」「悪い」を見つけないと気が済まないタイプのようなのだと思います。
 
そうではなくて、「よい」「悪い」を超越してその存在を好むこと。
この感覚は、子どもに対してよりもペットに対しての方が持ちやすいと思います。
なぜならが、子どもは「社会」という枠と切っても切り離せないからです。
「社会」という環境でうまくやっていくために、
「悪い」部分を見つけることも同時に重要なことだと考えます。
 
しかし、基本ペットは「社会」の枠に囚われないので、
純粋に「君がいてくれて、ありがとう!」という感覚を味わいやすいです。
 
いづれにしても、ペットであれ、子どもであれ、パートナーであれ、友人であれ、
誰かに対して
「君がいてくれて、ありがとう!」と感じている状態を想像することができれば、
後はそれを自分に対して向けるだけだと、私は考えます。
 
しかし自分という存在は、「社会」とは切っても切れない関係です。
ペットに対するように、
「君がいてくれて、ありがとう!」という感覚だけではやっていけないことを、
皆骨身に染みて理解していると思います。
 
ですから自分に対して「よい」「悪い」という鏡を手放そう!と言うつもりはないのです。
そうではなくて、「もう一つ鏡を持ちましょう!」というのが、
本日の私の言いたいところであります。
 
「君がいてくれて、ありがとう!」は、「感謝」の言葉です。
私もこの世に生まれて、いろんな体験をすることができました。
たくさんのことにワクワクできて、
涙が出そうになる体験もいくつかありますよ。
 
そんな自分に、「君がいてくれて、ありがとう!」と言いたいです。
この唯一無二のストーリーを紡ぎ出してきた自分という存在を、
とても好ましく感じます。