自分の自分による自分のための活動

最近、ブログを更新できていませんでした。
主な理由は、仕事が忙しかったからです。
 
しかし仕事ばかりだと、何かが不足してきました。
 
仕事は、社会との重要なつながりです。
社会に貢献しているという自覚は、
自分自身が社会の一員として社会に参加できているという安心感を与えてくれます。
加えて、社会の一員として成長する機会を与えてくれる訳です。
 
しかし、社会人としての人間活動だけでよいのか?
自分が立派な社会人になれば、それだけで本当にOKのか?
 
私は、「違う」と考えます。
 
例えば、立派な家族をつくるということも大切でしょう。
立派な友人関係や恋愛関係をつくることも重要な成長だと考えます。
 
しかしもっと根本的に重要なことは、
半端な自分から立派な自分になることです。
 
「自分は、もう既に自分だろう?」と思う人がいるかもしれません。
 
でも本当に自分は、十分に自分なのでしょうか。
 
冒頭の社会人の例に、当てはめてみましょう。
 
(1)社会人は、社会に貢献する存在です。
    ↓
   はたして、自分は本当に自分に貢献できているでしょうか?
 
(2)社会人は、社会とつながることで、社会人として成長します。
    ↓
   はたして、自分は本当に自分とつながっているのでしょうか?
 
人は、様々な顔を持つ宿命にあります。
「社会人としての自分」「家族としての自分」「友人としての自分」「恋人としての自分」。
それぞれの自分が成長することは、とても好ましいことだと思います。
 
しかしこれらが成長したとしても、
その結果「自分としての自分」がどこか隅に追いやられてしまうとしたら、
それはとてもアンバランスなことです。
 
例えば、父親として十分に家族とつながり成長した人がいたとします。
そういう人は、本当に立派な人です。
世間的には、「それで十分だ」と考える人もたくさんいると思います。
 
しかし私はここで、あえて「異」を唱えたい。
 
自分を蔑(ないがし)ろにしていないか?
父親という役割あるいは仮面がはりつきすぎて、本当の素の自分を喪失していないか?
 
私は、自分が自分でなくなることを恐れます。
この「世界」とつながっている最も大事な拠り所。
それは、社会でもなく家族でもありません。
それは、この世に生を受けた「自分自身」です。
 
だから私は、
「自分自身」にちゃんとつながり、「自分自身」にちゃんと貢献したいと考えます。
そして、立派な「自分」に成長したいです。
 
もちろんこれは、
立派な社会人になることや立派な家族になることを否定するものではありません。
 
「自分自身」という土台の上に、
「社会人としての自分」「家族としての自分」等が花開く訳です。
上部だけがどんどん成長して重くなっては、
いつか上部に栄養が回らなくなって成長が止まるだろうと言いたいのです。
そして、土台の「自分自身」がひ弱すぎる場合、
「過労死」や「うつ病」というリスクが出てきます。
 
「幸せ」になるためには、
「自分としての自分」を成長させる必要があると、私は考えるのです。
 
では、「自分としての自分」を成長させるにはどうしたらよいか?
まず、自分とつながることです。
そうして、自分自身に貢献する人間活動を積むことだと考えます。
 
私にとって、自分とつながり自分に貢献する活動は、
このブログを描くことです。
 
人は「自分とは何か?」ということを、ほとんど理解できていません。
ですから私は、もっともっとブログを通じて自分と対話を進め、
自分自身を知っていこうと考える次第です。
そして、自分が必要とする文章を描いていくことで、自分に貢献していきます。
 
社会人や家族人として成長することはとても重要なことですが、
最後に死ぬときそこにいるのは自分だけです。
 
死ぬ間際に「ああ、ここに自分がいたのか・・・」と気づくようでは、遅すぎます。
この世に「自分」として生を受けたのですから、
立派な「自分」に成長して、
死ぬ際には立派な「自分」を世界に返したい(還したい)と考える次第です。