コロッケにまつわるエトセトラ

今日は、朝食でコロッケを食べました。
久しぶりのコロッケは、
なんだか安心する味でした。
 
という訳で、
ついでにコロッケにまつわる知識も一緒に頂いちゃいましょう。
はたしてコロッケは、どのように日本に定着していったのでしょうか?
 
いつものごとく、ウィキペディアを見に行きます。

コロッケ(Korokke、英: Potato croquettes)は、
西洋料理のクロケット(仏: croquette、蘭: kroket)を模倣した、日本の洋食の一つ。
日本国外に逆輸出された日本式コロッケは日本語そのままに'Korokke'と呼ばれている。
1895年(明治28年)の女性誌『女鑑』には、
このクロケット(「仏蘭西コロツケ」と表現)をジャガイモを使ったコロッケと対比して、
それぞれはもはや「別の料理」と書かれている。

なるほど・・
コロッケも、ラーメンやカレーのように日本で魔改造された外国の料理だったのですね。
出身は外国でも、もはや日本の料理であると。
 

正確な記録や定説は存在しないが、
明治時代の文明開化の中でフランス料理やイギリス料理の一つとして
日本にもたらされたものと考えられる。
1917年(大正6年)当時、洋食の豚カツは13銭、ビーフステーキは15銭だったのに比べ、
コロッケは25銭と高価な料理であった。

 
意外や意外、その昔コロッケは高級食材でした。
しかし、お肉屋さんでコロッケが定番になったとき、
コロッケは一気に日本の大衆食として普及しました。

安価な惣菜としてのコロッケは1917年(大正6年)の東京「長楽軒」のメニューに端を発し、
ここのコック阿部清六が
関東大震災後の1927年(昭和2年)に立ち上げた精肉店「チョウシ屋」での商品化により、
肉屋の惣菜としてのコロッケの地位は揺るぎないものとなった。
肉屋において多量に生じる、
保存し過ぎて色の悪くなった肉や細切れ肉、揚げ油に使えるラードなどの利用が、
より安価なコロッケを提供できるようになった理由としてあげられる。

 
私は思うんですよ。
物づくり日本として工業製品ばかりが注目されますが、
こうした日本のコックさん達の活躍も華々しいものがあると。
 
ラーメン、カレーのような外国から入ってきた料理の魔改造
寿司、天ぷらのような日本古来から料理。
いずれも今や、海外でも人気のある日本料理となっています。
 
そうやって魔改造されたコロッケは、
日本人の身近な料理として愛され、生活や文化にも溶け込んでいったのです。
 
大正6年には、
「ワイフ貰って嬉しかったが、いつも出てくるおかずはコロッケ♪」という歌詞の
「コロッケの唄」がヒットしました。

1 ワイフもらってうれしかったが いつも出てくるおかずがコロッケ
  きょうもコロッケ 明日もコロッケ
  これじゃ年がら年じゅう(ウィー)コロッケ

2 亭主もらってうれしかったが いつもちょいと出りゃ めったにゃ帰らない
  きょうも帰らない 明日も帰らない 
  これじゃ年がら年じゅう(エーッくやしい)留守居

3 さいふ拾ってうれしかったが 開けてみたらば金貨がザクザク
  株を買おうか 土地を買おうか
  思案最中に(ハッハッハッハクション)目がさめた

その昔「大須浅草三文オペラ」でトリに歌われた、
面白おかしいコミックソングなのだそうです。
 
コロッケは今のネット社会でも、
「台風コロッケ」というネタとして使われています。
ウィキペディアは、こちら

2001年8月21日に2ちゃんねるのニュース速報板の
「【台風11号パブーク】上陸秒読み実況スレッド 14号」スレッドに
111番目に書き込まれた
『念のため、コロッケを16個買ってきました。もう3個食べてしまいました』
という書き込みをきっかけに、
台風が接近するとコロッケを買う、
食べるというネタが生まれた。
2012年にねとらぼが300人にアンケートを取ったところ、
「台風コロッケ」を知っている割合は7割に上ったと発表した。

 
コロッケという料理が、今なお日本で愛され続けている証ですよね。
昭和の始まりと共に大衆に普及していったコロッケ。
日本人とは、100年弱の付き合いとなります。
コロッケを売る場所は、肉屋からコンビニに変わりつつありますが、
これからも家族や私のような独身者を笑顔にする食材であり続けることでしょう。