ブログ生活

1月からブログを描き始め、今日で84個目のブログの投稿となります。
そして、ブログと共にある生活は5ヶ月目に突入しました。
 
ブログ生活を始めてよかった点を、今日は描いていきたいと思います。
 
よかったこと(その1)
 世界に対する関心が高くなりました。
 例えば、仕事でお客様を訪問する時に
 街路樹のそばに生える雑草たちに気づけるようになりました。
 また、ブログを描くためにネットでよく検索を行うようになり、
 世界に対する知識の幅と深さがどんどん広くなっています。
 
よかったこと(その2)
 毎日の生活の充実度が上がりました。
 私は、今でも皇居ランを途中サボりながらもなんとか続けています。
 毎回三日坊主の私からしたら、とんでもない快挙です。
 ブログが、続ける原動力になっていると思われます。
 なぜかというと、よいブログを描くためには充実した日常が必要だから。
 私がこのブログ生活で模索している生き方は、
 宮沢賢治さんの「半農半アート」という生き方です。
 生きるために農作業や仕事をしっかりと行い、
 その生きる活動から得られる喜びや苦しみをアートに昇華させる。
 「根のあるアート」と言えると思います。
 苛酷な環境の中でも、雑草はただひたすらに花を咲かせます。
 「半農半アート」によって創造される美は、そういった美しさです。
 素晴らしいブログを残したいからこそ、
 日々の運動や仕事を頑張れるようになりました。
 
よかったこと(その3)
 己の心の内を振り返ることができる。
 くじけそうになった時、過去のブログが私を励ましてくれたことがあります。
 他者に励ましてもらうのもいいのですが、
 タイミングが合わなかったり、期待するような意見をもらえなかったりと、
 なかなかばっちりの効果を得ることは難しいのではないでしょうか。
 その点、自分の書いた過去のブログは、いつでも見たいときに見れるし、
 過去の自分の言った言葉なので他者のどんな言葉よりも説得力があります。
 また、自分の心にある悪い癖を見つけることもできます。
 例えば、昨日のブログで、
 ナガミヒナゲシという雑草がたくさん繁殖していることを
 私は気持ち悪いと表現してしまいました。
 一生懸命、誰のサポートもなしに咲いている花に向かって、何とも失礼な言葉です。
 違和感を持ってしまった他者に対して、
 その人の中身も見ずに「気持ち悪い」と一方的にレッテルを貼ってしまうような
 悪い心の癖が私にはある、ということです。
 その人が今までどれだけ一生懸命に生きていらっしゃったか、
 常にそこに意識を向けなければいけないと思います。
 それから、こうやって文章化すると、自分の考えや心が整理され、
 自分に対する新たな気づきに繋がることもブログの大きな効能ですね。
 
 
以上、ブログ生活の利点を挙げていきました。
私にとっては、ブログが「生きる糧」であり「生きる喜び」となっています。
「生きる喜び」があってこその人生。
雑草は、花を咲かせるという目的があるからこそ、
アスファルトのわずかな隙間にも根を張って懸命に成長するのです。
 
「生きる喜び」、あなたは持っていますか?
思い返せば、私は今まで本能のもたらす喜びのみに頼って生きてきました。
食欲やダラダラとパソコンのネットで時間を潰すような生活。
本能の渇きは、埋めても埋めてもきりがありません。
それに、そういったものに時間やお金を使っても、
決して心が満たされることはありません。
得られるのは、空虚感のみ。
 
「心が喜ぶことってなんだろう?」
これは、生きる上で重要な問いかもしれません。
いろいろな答えがあるかと思いますが、「アート」というのも一つの答えでしょう。
私は、私の人生を源泉として、
宝石のように美しい小説やブログを残していきたいと思います。
もちろんそのためには、
人の役に立つような美しく充実した人生という土壌が必要です。