小説にまつわるエトセトラ

最近、過去の作品を読み返して自分的にOKなものには、
「オススメ!」というカテゴリーをつけています。
最初から少しずつ読み返していますが、
結構なボリュームになっているので、まだ2月10日までの作品しか読めていません。
 
不思議なことに、過去の作品の中でも小説に限っては、
まるで他者が描いたものであるかのように新鮮に感じることがあります。
 
今回、久しぶりに読み返して、心に「ジン」と来た小説があります。
『天使のみぃちゃん』です。
 
小説を描いたことがない人には、想像しにくいかもしれませんが、
自分で描いた小説なのに、後で読み返すと感動するということがたまに起こります。
そういった体験をする時、私は小説に命を感じます。
 
ところで、私が小説を描くにあたって、
小説の主人公がどのように生まれてくるのか、少し考えてみました。
多分、私の人格の一部が小説の主人公になっているような気がします。
イメージとしては、私の人格の一部をクローズアップして作るような感じ。
 
上記で紹介した小説の主人公の「みぃちゃん」も、
多分私の心のどこかから生まれたキャラクターなんだと思います。
私の心の一部からできているから、
「みぃちゃん」の内面心理を実感しながら小説を描くことができたのです。
 
逆に、私の心に素材の在庫がないキャラクターは創れません。
無理やり描いても、生きたキャラクターにはならないでしょう。
だから、私にはハードボイルドのかっこいいキャラクターは描けないような気がします(笑)
逆に言えば、「のび太」のようなキャラクターは得意かもしれませんね。
 
小説を描くということは、
心の中の普段表に出てこない部分にも活躍のチャンスを与えるということです。
ずっと裏方にいる心の一部は、外に出たいという衝動を持ち続けます。
もしかしたら、そういった心の衝動が
小説などの芸術作品の創作意欲に繋がっているのかもしれません。