シャボン玉飛んだ

社会に出ると見えなくなるものがあります。
大人になると忘れてしまうものがあります。
 
知り合いの子どもと遊んでいる時に、こんなことを聞かれました。
 
「お兄ちゃんの特技って何?」

なんと答えたらよいのかわからず、
「パソコンかなぁ」って答えたら、
 
「違うよ。大きなシャボン玉を作れることだよ。」って返ってきました。
 
その時、私は目からウロコが落ちました。
忘れてしまった何かを気づかされた気分です。
 
例えば、面接で「特技はなんですか?」って聞かれたとします。
どちらの回答が好ましいと思いますか?
(a)「はい。特技はパソコンです。」
(b)「はい。大きなシャボン玉を作ることです。」
 
まあ、(b)を選ぶ人はいないでしょう。
社会人になった私たちは、
自分の特技になり得るのは、会社や社会に役立つものでないといけないという、
そんな強迫観念を知らず知らずのうちに持ってしまっています。
 
でも子どもには、そんな制約はありません。
その子から見たら、私のすごいところは大きなシャボン玉を作れることなのです。
 
社会に出ると、人は「使える人間」と「使えない人間」に別れます。
「使える人間」とは、会社や社会に役立つ才能を持っている人々。
それ以外の才能をいくら持っていても、
その才能が会社や社会に役立たなかったら、それは「使えない人間」。
「使えない人間」のレッテルを貼られた人々は自分の価値を見失ってしまいます。
 
「使えないんだから苦しむのは当然」と思う人もいるかもしれませんが、
私はその考え方は、何かに毒されてしまっているような気がします。
偉そうなことを言っていますが、きっと私も毒されています。
 
人は様々な才能を持っています。
社会で「使える」才能もあれば、「使えない」才能もある。
「使える」才能のみで自分を判断してしまうのは、少し悲しい気がします。
「使える」才能のみで人を判断してしまうのは、もったいないような気がします。
 
子どもの頃には見えていたのに、
いつの間にか認識することができなくなった「使えない」才能。
もう一度見えるようになったら、きっと素敵でしょうね。
 
子どもから大人になって、なくしてしまうものは意外にたくさんあります。
あなたが子どもの頃に飛ばしたシャボン玉は、まだ心の中に飛んでいますか?