「四苦八苦」の「八苦」

今回は前回のブログの続きを描きたいと思います。
本日は、書籍「超訳ブッダの言葉(小池龍之介)」を参考にさせて頂いています。
 
さて、「四苦八苦」の最初の「四苦」は「生」「老」「病」「死」。
これらは、前回のブログで描きました。
今回お話しする残りの「四苦」は、
愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」
「求不得苦(ぐふとくく)」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」。
 
さて、まずは「愛別離苦」。
呼んで字のごとく、愛しいものと離れてしまう苦しさ。
家族や恋人との死別。
恋人や友人との別れ。
「お金」を愛する人は、「お金」を失うこと。
「名声」や「権力」を愛する人は、「名声」や「権力」を失うこと。
 
あまり、愛するものを持ちすぎると、
失う「苦しみ」に支配された人生になってしまうような気がします。
あなたが、本当に愛するものはなんですか?
これさえあれば他は全て失ってよいと思えるほどに愛するものはありますか?
結局最後は離れて苦しむことがわかっているとしても、
出会えてよかったと心から思えるもののみ、
その別れの「苦しみ」に「意味」が生じるのです。
 
次に「怨憎会苦」。
愛別離苦」とは反対に、嫌いな人やものと一緒になってしまう「苦しみ」。
私は、この「苦しみ」には散々やられました。
そして、散々やられて気づきました。
「憎しみ」は「苦しみ」であるということ。
「憎しみ」の炎は、自身を焼き尽くします。まさに「人を呪わば穴二つ」なのです。
 
「憎しみ」に心が支配されると、一日中そのことを考えてしまいます。
「憎しみ」の毒は、本当に強力なのです。
この「憎しみ」に支配された体験は、
「苦しみ」の真の正体は自身の中にあると気づかせてくれました。
「憎しみ」から開放されたとき、「苦しみ」からも解放されたのです。
そして、私はなるべく全てのものを愛そうと思いました。
「憎む」か「愛する」かは、私の心で自由に決めることができます。
「憎しみ」は、もうこりごりです。
 
3番目は「求不得苦」。
実現不可能な願望。
「生まれたくなかった」「老いたくない」「病気になりたくない」「死にたくない」。
「仕事を終えて早く帰りたい」「もっとお金があったらなぁ」「もっともてたいなぁ」。
「あの人は、お金持ちでいいなぁ」「あの人は、もててずるい」。
生きることは「苦しみ」に満ちているため、
「苦しみ」を回避することや「快楽」を得ることに想いを馳せがちです。
しかし、望めば望むほど現状とのギャップに苦しめられる。
 
この「求不得苦」に関するキーワードは2つ。
「不完全な自分」の「受け入れ」。そらから、「努力」による「自己実現」。
言わずもがな、「努力」による「自己実現」は、現代社会のおいて美徳とされています。
しかし、「不完全な自分」の「受け入れ」なしに、ひたすら「努力」して「自己実現」しても、
上には上がおり「求不得苦」の「苦しみ」から逃れられません。
しっかりと自分を見つめ、他人と比較せず、
自分に与えられた「才能」の中で「努力」するときに、
自分の成長に「喜び」を見出せるのだと思います。
人間のスタート地点は、平等ではありません。進める速さも、平等ではありません。
大事なのは、自分自身をしっかり見つめ、納得できる成長をできたかどうかです。
「不完全な自分」を受け入れられなければ、「求不得苦」から逃れられません。
 
最後に「五蘊盛苦」。
これは説明がとても難しいです。
ウィキペディアから引用しますと・・・
 
 自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで
 苦しみが次から次へと湧き上がってくることであり、
 五蘊とは以下の五つを指す。
  色(しき) =すべての物質を指し示す。
         この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ
  受(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
  想(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
  行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
  識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して
         状況判断を下す「心」の機能
 
「DNA」が、私たちの心に埋め込んだ「苦しみの装置」がもたらすあらゆるもの。
「暑い」と苦しい。
「過去の嫌な記憶」がフラッシュバックして苦しい。
別に憎んでいなくてもゴキブリのように「不快なものを見る」のも苦しい。
統合失調症の人の「幻聴」の苦しさ。
自分の「シャドウ」と同じ特質を持つ人に出会う苦しさ。
※「シャドウ」については、私の過去ブログをお読みください。
 
「苦しみ」は「DNA」によって作られた「装置」なので、
普通に意味なく「誤作動」もするのです。
私たちの「心」が稼動している限り、この「苦しみ」からは逃れられません。
 
 
さて、ここまで見てきて、どのような感想をお持ちになったでしょうか?
「人生」は「四苦八苦」で絶望的だなぁと感じましたか?
それとも、「DNA」が仕掛けた「苦しみ」の「正体」を知って、
「苦しみ装置」の裏をかきたくなったりしませんでしたか?
「DNA」も所詮は「装置」。
他の動物ならいざ知らず、ここまで進化した私たち人間の心は「DNA」よりも賢いはずです。
「DNA」ではなく、「真」の「自分」が欲するものは何か?
ここに「心」を集中させてアンテナを張ると見えてくるものがあります。
私に見えてきたのは「与えること」。
仏教では「慈悲」と教えているものです。