「時間」は友達

今日、すごいことが起こりました。
なんと、年末までまだ余裕があるこの時期に、年賀状を書き上げたのです。
 
「へっ?」と思うかもしれませんが、
からしたら、本当にすごいことなんですよ。
 
毎年、年賀状を書くのが嫌で嫌で仕方なく、
12月30日とか、ぎりぎりの時期まで貯めて、
12月30日に泣きながら書いていました。
 
それが、今年は12月25日にほぼ書き終ったのです。
もちろん、朝には皇居ランもこなしています。
「時間」をうまく使えるようになったなぁと、しみじみ思う次第です。
 
これも、ひとえにブログを描いて考察を深めていったお陰だと思います。
ただ、もちろんブログを描いたというのは表面の事象に過ぎないでしょう。
私の変化の真因は、もっと深いところにあると思います。
 
待っててください。
私が「成る」ことができた要因を、今後のブログでなんとか表していきたいと思います。
怠惰から抜け出せず悩んでいる方に、なんとかその突破口をお伝えしてみせます。
(「成る」については、過去ブログ参照)
 
今、おぼろげに感じているのは、
私の「時間」に対する見方が変わったということです。
 
私は以前、「Time is Life.」という記事を描きました。
その記事の内容は、
時は、金よりもずっと大事なものなんだ。人生そのものなんだ。
というお話でした。
目の前の1時間1時間が、あなたの人生を構築しています。
だから、目の前の1時間1時間を大切にするということは、
それすなわち、自分の人生を大切にすることに他ならない訳です。
逆に目の前の1時間1時間を粗末にすると、
あなたの人生全体の一部分は粗末のものになってしまいます。
どうあがこうとも、取り返しのつかない人生の瑕疵です。
 
だから、目の前の1時間1時間を大切に使おう。
そう考えれば、努力も自然にできるようになる。
この「時間」への見方の変化が、努力できるようになった一要因です。
 
また、もう一つ別の観点からも、私は「時間」への見方を変えました。
それは、「時間」こそが自分の真の友達だという見方です。
具体的に、説明していきましょう。
人は、何かに依存しなければならない生き物です。
しかし、その依存している相手が、別の人の場合、そこに苦しみの元が生まれます。
例え、相手が広い心で依存することを許しても、
受け入れる側にはコンプレックスや葛藤が生じるものです。
「依存する」「依存される」という関係は、人間同士の間では安定して続けられません。
健全ではないのです。
 
しかし、「時間」すなわち「人生」すなわち「自分」には、
いくら依存しても構わない。
依存すればするほど、誠実に裏切ることもなく「自分」に「与え」てくれます。
 
「時間」に依存するとは、目の前の時間を「自分」のために使わせてもらうこと。
残念なのは、「時間」は1日24時間、限られていることです。
ですから、なおさら大切に大切に使わせてもらいましょう。
 
「時間」は、真の友達、自分の味方。
こんな考え方をして、「時間」に依存しまくっても、
世界でただ一つ、「時間」だけは誠実に確実にあなたに返してくれるのです。
 
私は、今「時間」に愛着すら持っています。
こんな頼りがいのある存在は、ありません。
これからも、とてもとても愛おしく「時間」に接していきたいと思う次第です。
 
Support Wikipedia