キリスト教(や他の姉妹宗教)と仏教の最も大きな違い

日本においてメジャーな宗教は、キリスト教と仏教ではないでしょうか?
クリスマスやバレンタイン、盆踊りと、国民の生活にも根付いています。
 
ところで、このキリスト教と仏教という2つの宗教界のビッグネーム。
最も大きな違いは何だと思いますか?
 
私は、これだと思います。
すなわち、「宗教が人間を支配する」か「人間が宗教を活用する」か。
 
キリスト教カトリック)においては、
死語、洗礼を受けていない者は辺獄という場所に。
また、他宗教の教主と門徒は、異端者の地獄と呼ばれる場所に行くそうです。
(詳しくは、ウィキペディア「神曲」をどうぞ)
つまり、キリスト教を信じない者は、どうあがいても救われない。
 
ちなみに、キリスト教の姉妹宗教イスラム教においては、
イスラム教徒がイスラム教の教えを捨て去ると、原則死刑だそうです。
まあ、実際には柔軟な運用もされているようですが。
(詳しくは、ウィキペディア「イスラム教における棄教」をどうぞ)
そして、やはりイスラム以外の信仰を信ずる者は、
皆地獄に落ち彼らの救済は存在しないとしています。
 
一方、仏教はどうか。
小池龍之介さんの著書「超訳ブッダの言葉」には、こうあります。
ブッダ曰く「君が私の教えを使い終わったなら、惜しむことなく捨て去るように。」
 
何となく、ほっとしますね。
仏教においては、人間の自由意思が尊重されているような気がします。
 
まあしかし、人間の自由意思は、はたして信ずるに値するものなのかどうか?
値しないと考えるのが、キリスト教イスラム教であり、
値すると考えるのが、仏教なのかもしれません。
 
確かに、過去において「宗教はアヘン」と断じた共産国家は、
宗教というタガが外れたせいか、大虐殺を行っています。
ソ連スターリンによる大粛正、中国の毛沢東による文化大革命
カンボジアポル・ポトによる大虐殺。
そう考えると、国のトップの上に宗教があるという構図も悪くないかもしれませんね。
しかし、皆さんもご存じのとおり、
宗教によらずとも、自身の「理性」や「良心」によって、
「利他的」な「与える」活動をしている人もたくさんいらっしゃいます。
 
さてさてはたして、今後も人類は宗教という鎖に繋がれていた方がよいのでしょうか?
もしくは、そろそろ鎖を外して、カントの言うように、
人間の心の内の「道徳」の道しるべとして
「宗教」を活用するという道を模索した方がよいのでしょうか?
それとも、これからの人類は、
「宗教」に頼らずとも世界を「幸せ」にできるような、
もっと理論的な仕組みを創造できるのでしょうか?
 
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