「生命」を最も愛おしく感じるシチュエーション

「生命」を最も愛おしく感じるシチュエーションって、どんなだと思いますか?
 
私は、宇宙から地球を見た時に、
「生命」を最も愛おしく感じるのではないかなと思います。
 
宇宙飛行士は、不毛の「宇宙」から地球を見ると、
「地球」の美しさに息を飲むのだそうです。
そして、宇宙飛行士の向井さんへのインタビューによると、
宇宙船においては、国籍とか性別という概念は意味をなさなくなるのだそうです。
「生命」あふれる「地球」と、微生物すらいない「宇宙」。
「宇宙」においては、国籍や性別なんかよりも、
自分の他にも「生命」がいるという事実が重要になるのかなと思います。
また、何も存在しない「宇宙」に切り離されてしまった自分達が、
自分達の生きる場所が「地球」しかないんだという気持ちが、
更に「地球」を美しく見せているようです。
 
想像してみて下さい。
自分以外には「生命」がいない、例えば宇宙船のような環境を。
あるいは、月面のような不毛の地から「地球」を見上げた時の状況を。
とても心細い気持ちになりませんか?
 
私たちの周りには、常に「生命」が存在します。
街路樹が葉を茂らせ、雀たちがさえずり、野良猫が目の前を通りすぎる。
「生命」がそばにいると、なぜか「心」が安心します。
 
私たちも、もちろん「生命」です。
ですので、「生命」は他の「生命」の「存在」を必要とすると言えるかもしれません。
食料としての意味ではなく、純粋に他の「生命」がそこにいることを望むというような。
つまり、「生命」はとても寂しがり屋なのだと思う訳です。
「生命」は原則惹かれ合う。
 
しかし、「遺伝子(本能)」の画策により、
「生命」は、捕食者から全力で逃げなければいけないし、
「生命」は、他の「生命」を捕食して消去しなければならない。
また、ゴキブリのように本能的に拒絶される「生命」もあります。
 
「遺伝子」による「生命」の分断工作は、とても根深い。
 
しかし、一方で人類は、絶滅寸前の動物を守ろうとする。
学術的な意義は置いておいて、
絶滅寸前の動物を保護するニュースやドキュメンタリーを観ると、
「心」がほっとする理由は何なのか?
サイの角が漢方薬の材料として高く売れるからと言って、
密猟されまくって、世界のサイ科の5種全てが絶滅の危機に瀕していることに、
なぜ、憤りを感じるのか?
なぜ、猟友会が趣味で動物を殺していることに「ざらっ」とした気持ちになるのか?
 
やっぱり「生命」は、寂しがり屋だからだと私は思うのです。
 
とは言っても、私はベジタリアンではありませんので、
豚や鶏や牛や魚を食べます。
しかし、彼ら「生命」に感謝して食べなければいけないなと思います。
米や野菜等の植物という「生命」に対しても同様でしょう。
 
私は、子どもの頃から、食事を残すことにものすごい抵抗感がありました。
だから、目の前にあるものは無理してでも全部食べます。
お弁当を買うにしても、なぜか売れ残って冷めたものを優先的に買っています。
「もったいない」という気持ちからです。
水とか工業品には、なぜか「もったいない」という気持ちがおきませんでした。
 
今回のブログを描いていて、
私のこの「もったいない」の正体がわかったような気がします。
「生命」が「もったいない」だったんです。
「生命」を消去して作った食事。
口に入れて自分の「生命」の糧にするのならともかく、
食べられることなくゴミとして廃棄される「生命」は、本当に「もったいない」。
 
そういう観点から言うと、
自国民をたくさん殺害したり、民族浄化をしたりしている、
独裁者や一党独裁の国に対しては、
「何てことをしているんだ」という気持ちになります。
 
こういう「生命」を軽んじている人には、
1年間宇宙ステーションで一人暮らしをしてみることをオススメします。
きっと、「生命」の愛おしささがわかると思うから。
 

 
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