「気合い」は最後に使うもの?

最近、1日が24時間であることの壁にぶつかっています。
いろいろとバタバタしていて、
やろうと思っていたことがやりきれなくなっている状態です。
 
皇居ランも頑張って、6キロの減量に成功したのですが、
目標の60キロ台にはまだ足りず。
あと、もう少しというところで、ここ1週間走っていません。
ブログも3日空いてしまいましたね。
 
どんなに忙しかったり苦しかったりしても、ブログだけは続けたいと思っています。
「苦しい」時期というのは、「気づき」や「学び」の時期です。
こういった時に、ブログを描いて自分と対話することは非常に有意義だと思いますし、
こういう「苦しい」時の、現在進行形の心の動きや持ち直し方を綴った文章というのは、
読んで頂いた方に何かしら価値のある情報となるかもしれません。
 
ですので、今後「苦しい」時でもブログを描き、
「心」の「葛藤」と「模索」と「気づき」を記録していきたいと思う次第です。
このように、「成長」の「言語化」が、このブログの一つのテーマであります。
そして、このテーマに最もそぐわない言葉が「気合い」です。
 
「気合い」で乗り越えましたってブログに描いても、学ぶところは全くありません。
せいぜい「すごいね〜」って感想で終わってしまうのがオチです。
 
なぜ「気合い」を発揮することができたのか?
そこの精神的瞬発力の源泉を「考察」しないといけません。
締切り等への「焦り」の気持ちが「気合い」を生んだのなら、
「気合い」に頼っている状態は危険です。
しっかりと、「時間」を丁寧に燃焼させている人や、
やることやりたいことをしっかりと整理してスケジューリングしている人にとっては、
気軽に使ってはいけない「最後の武器」になると思います。
 
大体、私も昔はずいぶん「気合い」で乗り切ってきましたが、
「苦しい」「結果への満足が薄い」「人生の糧として学習できる体験ではない」
というように、辛い割には得るモノが何もないような気がします。
それどころか、「忙しいとは、心をなくすと書く」とよく言いますが、
周りに迷惑を掛けていることも多い。
 
そういった意味で、今まで「気合い」で乗り切った体験から言えることは、
やはり「気合い」は簡単に使ってはいけない「最後の武器」ということだと思います。
「気合い」を発揮している時の「時間」の燃焼状態は、
激しいかもしれないけど整ったものではないでしょう。
(それでも、なりふり構わず大事な人やもののために、
 死にものぐるいになる「気合い」は、ある意味美しいとは思いますが。)
 
まあ、私としては今後の「人生」においては、
なるべく「気合い」を使わなくて済むように日常時点で
「時間」の使い方やスケジューリングを、
頭をフルに使って「考察」していきたいと思います。
「考察」するだけではなく、外部知識も積極的に導入するつもりです。
例えば、先日私は「4時間半熟睡法」という本を読みました。
 
「時間」と真っ正面から対峙するのは、今回が初めてです。
「時間」を制する者が「人生」を制す。
「時間」に対する私の「葛藤」や「模索」や「気づき」を、
ブログにしっかりと綴っていくつもりです。
どなたかのお役に立つ参考情報になればよいなと思います。
 
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