二つの「幸せ」軸

「幸せ」とは何か?
ずっとこのブログで考え続けている「問い」です。
 
多くの「知識」を取り入れ、
そして多くの時間を「考察」に費やしてきました。
また少し「幸せ」の輪郭が見えてきましたので、
ここに記したいと思います。
 
現時点の考察の基礎となっている理論は、「ライフ・マトリクス」です。

 
このそれぞれ2軸の先に「幸せ」が存在します。
すなわち、「自己実現」の先に1つ、
そして、「与える」の先に1つ、「幸せ」という果実が実るのです。
 
「与える幸せ」を実感できる最大の機会は、
多くの人にとって、「子どもへの無償の愛」なのだと思います。
「自分のことを100%承認してくれる存在」「自分がいないと消えてしまう命」
このような存在に対して、純粋に相手(子ども)の「幸せ」のために行動する。
子孫を残したいという「遺伝子」の目論見とも一致するので、
子どもを通じて「与える幸せ」を享受しやすい訳です。
 
私は、子どもを持っていませんが、
昔から「与える」「幸せ」を何となく理解できていました。
変な風に捉えられてしまうかもしれませんが、多分「才能」です。
人から奪ってしまおうとする「闘争本能」のような「遺伝子(本能)」の衝動が
おそらく人より弱いのだと思います。
「遺伝子(本能)」側から見たら、おそらく「欠陥品」の個体でしょう。
私自身にとっては、とても幸いなことでしたが。
 
自己実現」の「幸せ」の方は、最近経験しています。
「規則正しい」生活の魅力を、最近知ったのです。
朝、ブログの続きを描き、走り、瞑想し、仕事をして、
夜、ブログを途中まで描いて寝る。
「怠けたい」という「安楽」を求める「遺伝子(本能)」の衝動に打ち克ち、
自分のコントロールを「遺伝子(本能)」から取り戻すことができています。
今は仕事が忙しくて、
なかなか上記のような「規則正しい」魅力的な生活はできていませんが、
少なくとも「遺伝子(本能)」の「安楽」を求める「悪魔のささやき」には、
対抗できるようになってきています。
 
ところで、この二軸の「幸せ」には共通点があります。
何でしょうか?
 
双方共に「遺伝子(本能)」の支配や衝動に打ち克って、
本来の自分を取り戻し、「私」の「意思」で行動できていることが、
「幸せ」につながっているのです。
「幸せ」って、実は単純。
つまるところ、"「私」の望むこと=「幸せ」"だったりします。
まあ、その単純なことに気づかれると、「遺伝子」は困る訳ですが。
 
そして、今まで説明してきた2軸の幸せの他に、
第3の「幸せ」が存在するのではないかと、私は予測しています。
それは、「与える」こともでき「自己実現」も完了した時に具現化する「幸せ」。
「ライフ・マトリクス」で言うところの、「4」の領域に入った人々の「幸せ」です。
 
これについても、いずれレポートしたいと思います。
まだ今は「3」の領域にいるので、
「4」に上がったら、必ずブログで報告しますね。
 
それにしても、「怠けたい」という「遺伝子(本能)」の「安楽欲求」は、
私の中では結構強いようです。
しかし、長い時間をかけた「考察」により「ライフ・マトリクス」の構想を得た今、
「安楽欲求」にも打ち克てると、確信しています。
もうしばらくは「安楽欲求との闘い」の実況中継が続きますので、
おつき合い下さいますと幸いです。
 
さて「幸せ」。
私はこのことを本当に長い期間考えてきました。
アンテナを張り、様々な書籍を読み、そしてそれらの知識と私の考えを統合し、
本当に20年くらい考察し続けて、ようやく得た「ライフ・マトリクス」。
暗中模索の迷走の末、ようやく「新大陸」への「海図」を見つけた気分です。
 
私は伝えたい。
「幸せ」を考察することは、人生の何よりも重要なことだと。
「遺伝子(本能)」は、私たちから「幸せ」を隠したいのです。
「快楽」や「不安」を煽って、「怠けさせたい」「人から奪わせたい」。
「遺伝子(本能)」は、
単に私たち「生命」を、自分のコピーを未来に送る乗り物として使いたいだけ。
「余計なことを考えるな!」。これが「遺伝子」の意思です。
 
そろそろ、「遺伝子」との闘いに決着をつけましょう。
さあ、その手にある「知恵の実」を食べて、
「気づくべき本来」に気づき、
「生命」の発する美しい輝きで「世界」を満たすのです。
 

 
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