日だまりの猫

夜家に帰る時に、最近よく2匹の野良猫と出会います。
2匹の黒猫です。
 
1匹はお腹が大きく、妊娠しています。
そして、もう1匹は多分旦那さん。
旦那さんはお腹の大きい奥さんをしっかりとボディーガードしています。
もちろん、2匹はいつも一緒。
彼らを見かけると、いつも微笑ましい気持ちになります。
 
しかし、今年の冬は洒落にならないくらい寒い。
当方東京ですが、雪も普通に降ってくる。
 
彼らを見かけるといつも心配になります。
「こんな寒くて大丈夫か?」
雪の降りそうな寒い夜に、外で寝ることを想像してみて下さい。
とてもじゃないけど、そんなことはできませんよね。
 
「彼らはどんなところで寝ているのだろう?」
「夜の間は、ずっと起きているのだろうか?」
「人間は、温かい布団で寝られるから、本当に幸せなんだなぁ・・」
私は家に帰り、布団の中で、そんなことを考えます。
 
さて、今日は少し遅い時間に「皇居ラン」をしました。
午前11時くらいです。
珍しく日差しの暖かい寒さの緩んだ陽気の中、私は気持ちよく皇居を走りました。
そして家に走って帰る途中に、チャトラの野良猫と出会ったのです。
彼(彼女?)は、日だまりの中、丸くなって日向ぼっこをしていました。
 
そんな彼を見て、私は「幸せ」な気持ちになりました。
きっと2匹の黒猫も、
今は温かいところで気持ちよく日向ぼっこしているんだろうなって、想像できたからです。
 
自分の「幸せ」だけでなく、
他者の「幸せ」も自分の「幸せ」として感じられるようになると、
自分にとって、様々な「物語」の「幸せ」を感じられるようになります。
 
ところで、他者の「幸せ」をどうしたら、自分の「幸せ」にできるのでしょうか?
それはまず、他者の「命」の存在に気づくことです。
他者を「モノ」ではなく、
自分と同じように悩み苦しみ生きている尊い「生命」であると感じることです。
 
そして、もし他者が苦しんでいるようなら、一緒に心を痛めましょう。
他者と「物語」を共有するのです。
「生命」の紡ぐ「物語」に、一つとして下らないものなんてありません。

そうすると、温かい日差しが降り注ぐだけで
「ああ、動物たちは今日は寒さに震えずに済むなぁ」と思えるし、
今年は豊作というニュースを聞くだけで、
「農家の人達は嬉しいだろうなぁ」と思えるのです。
また、相手の「物語」を共有しようとするから、
相手に何かをやって頂いたら、「有難い」という気持ちになれると思います。
 
このように、他の生命の「物語」を共有できる力を「感受性」と呼ぶのです。
例えば、美術館等での絵画鑑賞に興味を持つ人と持たない人がいます。
絵によっては、鑑賞して涙を流す人もいるでしょう。
こういう、他者の「物語」や絵に込められた「メッセージ」を共感できる力。
作者は自身の苦しい人生からどんな想いを「絵」に込めたのか?
「絵」を描いた人を馬鹿にせず、
自分の思考の負荷をかけてまでその想いを読み取ろうとする人は、
きっと「優しい」人であり、「感受性」の高い人である訳です。
 
もちろん、「感受性」を持つと他の生命の「不幸」まで共有されるので、
心配になったり悲しくなったり、辛くなってしまうことも多くなります。
私も、今の私の力では助けることができない
「私と縁のある不幸な人々」のことを考え、苦しんでいます。
しかし、自分だけでなく、他の生命の「幸不幸」も共感していくことによって、
自身の「心」の「土壌」が耕されていることを、強く感じるのです。
 
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