「熊野古道」

昔、前の会社を辞めて今の会社に入るまでの期間を利用して、
熊野古道」を1泊2日で歩いて来ました。
ゴールは熊野本宮大社です。
熊野古道ウィキペディアこちら
 
熊野古道」の「中辺路」という道を歩きました。
「中辺路」は、古代末期から近世にかけて「蟻の熊野詣」といわれるほど、
多くの参拝者が歩いた道です。
(「中辺路」の観光ページはこちら
 
歴史上の有名な方々も歩いています。
「花山法皇」「鳥羽上皇」「後白河上皇」「後鳥羽上皇」。
平清盛」「重盛」。「西行」「一遍」。
 
熊野詣では、徒歩がしきたり。
高貴な身分の方も、庶民も、皆歩いて参拝しました。
後白河上皇などは、33回も熊野詣をするほど熱心だったようです。
 
さて、私は3月の平日に行ってきました。
平日ということもあり、途中1組のパーティーに追い抜かれただけで、
あとは、私の他には誰もいなかったです。
 
おそらく5㎞四方は私以外には誰もいないであろう山の中の道を、
一人歩いてきました。
住まいが東京の私にとって、人生で始めて経験する「真の孤独」です。
3月のまだ少し肌寒い季節。
いろいろなことを考えながら歩きました。
こんなに長い時間「自分と対話」できたのは、後にも先にもこの時だけです。
日差しが降り注いでいるのにもかかわらず、
途中で雪が降り始めた時には、その幻想的な風景に息を飲みました。
些末なことに追われる日常から抜け出して、
自分を見つめ直すには、本当によい場所でした。
 
太古の昔から様々な人々が、様々な想いを胸に、この道を歩いてきました。
上述したような高貴な人ばかりでなく、
庶民にも平等に提供された「救い」の道なのです。
 
昔の「熊野古道」は、私のような脳天気な理由で歩く人ばかりではありませんでした。
例えば、ハンセン病の方や盲人の方も歩かれました。
道を歩いていると、
道中で行き倒れて亡くなった方を供養するためのお地蔵様が、
チラホラと設置されているのです。
それらの中には、一人で「熊野古道」に入って行き倒れてしまった盲人の方を
供養しているお地蔵様もあります。
また、遊女であった「おぎん」という方が、
熊野詣の途中で、賊に襲われ命を落とされた場所には、
「おぎん地蔵」というお地蔵様が置かれています。
 
現代からは想像もできないような、「苦しみ」の時代。
庶民は、どんな想いで「熊野古道」を歩んだのでしょうか?
人の力では抗えないような「理不尽」な「苦しみ」に覆われ、
人々は自らの「救い」を、熊野詣に求めたのかもしれません。
賊も出没するような道程。命を落とす危険があるのにもかかわらず。
 
盲人の方が単独で「熊野古道」を歩かれていたという事実に、
当時の人々の抱える「苦しみ」の「暗黒さ」と、
当時の人々が「熊野古道」に抱いていた「救い」の光の「まばゆさ」を
感じずにはいられません。
 
なぜ、人や生命は「苦しみ」の中に生きなければならないのでしょうか?
手話を使うゴリラのココは、
「死」を「苦労のない 穴に さようなら。」と表現しました。
(詳しくは、過去ブログで)
 
「生きる意味」。
熊野古道」を歩く人達は皆それぞれ、
人里離れた山道を歩きながら真剣に思いを巡らせていたのかもしれません。
後白河上皇」も「平清盛」も「西行」も「庶民」も、皆一生懸命に。
 

 
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