「時間」との対峙方法

ここ2週間ほど、ずっと体調が悪かったのですが、
ようやく体調の悪い期間を脱したようです。
 
私の体は、体調が回復する時「サイン」を出します。
それは、温度に関係なくドバーっと汗が一時期に流れ出すというものです。
 
例えば、二日酔いで朝から調子が悪い。
しかし、昼前に汗がドバーっと出て、憑きものがとれたように体調と気分が回復します。
今回は、昨日の会社出勤時に汗がドバーっと出ました。
そして、不思議なことに、それを境にして体も心も軽くなりました。
 
汗が「サイン」ということは、
私の体調が悪い状態というのは、おそらく自律神経系の不調なのでしょう。
体調が悪い時には、自律神経がうまく機能していない。
 
このブログでは、今まで「遺伝子」をさんざん悪者にしてきましたが、
「心」だけでなく「体」も大事にしないと「幸せ」になれないんだなぁと、
今回の件で思いました。
 
そして、今回の「苦しみ」から、もう一つ得たような気がすることがあります。
それが「時間」との対峙方法です。
目の前の「時間」を丁寧に使っていくことが、
「人生」を「幸せ」にする「本質」だと思っていますが、
「頭」でわかっていても、なかなか漏れなく「有意義」に「時間」を使うことは難しい。
体調の悪い時などは、目の前の「時間」を「有意義」なことに使う気力が起きない。
「自分」をコントロールできない。
「有意義」なことは何もできず、ムダな「時間」を積み上げることになってしまいます。
 
こういう時の心境は、焦りばかりがつのり、まさに「最悪」の状態です。
そして、「体」は動かず、「頭」の中だけではとても思い悩みました。
 
そうして悩み続けてつかめたことが、
以下のような「時間」への対峙方法に関する考え方です。
「時間」を長期的に有意義に使おうとする場合、
必要なのは「情熱」や「薄っぺらい気合い」ではない。
 
想いである「情熱」は「心」にしっかりと落とし込んだ上で、
「静的」に、目の前の「時間」と向き合う。
居合い斬りにおける「精神集中」のような心持ちです。
水面のように「心」を落ち着かせて、目の前の「時間」を居合い斬る。
1日の始まりには、「瞑想」して「心」を「静寂」にして、
これから始まる一日の「時間」が自分の「人生」そのものだと、「心」から納得する。
そして家を出てからは、都度都度、精神集中して「こと」にあたる。
「時間」との対峙は、武道や茶道などの「道」として行う。
「道」として、「時間」と対峙する時、一切の雑音や雑念は消え去ります。
「時間道」というべき概念で生きることが、
最も「幸せ」に近い生き方なのではないかと思います。
 
戦国時代に、山中鹿之助という武将がいました。
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈り、
毛利氏に滅ぼされた尼子氏という大名家の御家再興のために、一生を捧げた方です。
自身に七難八苦を引き受けてでも、御家再興を果たしたいと願い、
実際に後の講談の題材になるほど、誓った目的のために獅子奮闘した壮絶な人生を送ります。
 
ウィキペディアによると、
「武士道」を精神的な支柱とした明治以降の国民教育の題材として、
月に七難八苦を祈った話が教科書に採用されていたそうです。
 
「人生」や「時間」に真剣に対峙していくのなら、
「情熱」の他に「道」が必要かもしれません。
少しこの方向で、試行錯誤していきたいと思っています。
 
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