西郷隆盛さんの「道」を選ぼうと思います。

私は、人のあり方を以下の4つの領域に分解できると考えています。

例えば横の軸で見ますと、人は「奪う」属性か「与える」属性かに分かれる訳です。
人は「1」の領域からスタートし、
「2」か「3」を通って「4」に向かって成長します。
 
ところで、政治家や官僚など、皆の幸せを背負って働く人々には、
どんな方になって欲しいかと言うと、
是非「与える」属性の人になって欲しいですよね。
でも、こと政治家に限って言えば、
「与える」属性の人を見つけるのは難しいと思います。
もちろん、私が詳しく知らないだけということもあるでしょうけど。
 
私が知っている政治家で、
この人は「与える人」だ!と自信を持って言える方が一人だけいます。
西郷隆盛さんです。
ウィキペディアこちら
 
西郷さんの率いる薩摩軍は、幕末の徳川家との戦いの際、
幕府側の急先鋒であった庄内藩(現、山形県)の軍を打ち破りました。
戦後、庄内藩藩士達は、全員切腹を覚悟していたのですが、
西郷さんは、藩主と一部藩士の謹慎を命じただけで、事実上一切の罰を与えませんでした。
庄内藩藩士達は、あまりの寛大さに皆拍子抜けしたほどだったそうです。
 
西郷さん曰く、
「戦にあっては、敵同士戦わねばならなかった。
 しかし、戦が終わった今、なおも敗者を痛めつけるなど、人の道に反する。
 ましてや庄内藩の方々は、最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士ではないか。」
 
こうした事情があって、庄内藩士達は西郷さんを慕うようになります。
明治3年、18歳だった旧庄内藩主の酒井忠篤は、
70名の家臣達を引き連れて、西郷さんに会うため鹿児島を訪れました。
西郷さんは彼らを大歓迎し、様々な話を聴かせたそうです。
この時の記録が、「西郷南州翁遺訓」として残っています。
 
私は、西郷さんにとても興味を持っていたので、
PHP文庫の「話し言葉で読める西郷南州翁遺訓」(長尾剛さん著)を購読し、
西郷さんの人生訓を学ぶことにしたのです。
 
結論から言って、この書籍は私にとってバイブルにしたいほどの良書となりました。
人生に悩んでいる方は、西郷さんの単純明快で深い人生観に触れてみるのも一興ですよ。
「何が正しいのか」西郷さんの考えがスパッと明示されています。
 
話が長くなりましたが、ここからが本題です。
私は以前、このブログにて人生を「考察」するうちに、
「幸せ」に生きるには、「道」が必要だと考えるようになりました。
(その時のブログはこちら
私の解釈では、「道」とは自分の「命」よりも大切なものを持つこと。
その大切なものを実現するために懸命に純粋に生きることで、
その人の生き様に「機能美」としての「美」が生じるということ。
 
そういった訳で、私も何か「道」を持たなければいけないと感じていました。
「じゃあ、何がいいんだろう?」と思っていた矢先に、
この「話し言葉で読める西郷南州翁遺訓」と出会ったのです。
 
西郷さんは、「道」を行うことが生きることにおいて絶対だとおっしゃています。
「道」について、「話し言葉で読める西郷南州翁遺訓」から少し抜粋しましょう。
 
 道とは、「この世の全ての存在が幸せになること」です。
 言うまでもなく、その根本は「愛」である。
 私たちの使命は、道を定めてくれた「天」を愛し敬することです。
 それすなわち、「天」が万物に注いでくれている「愛」を、
 何よりも大切にすることである。
 (中略)
 すなわち、です。
 人が道を守るとは、どういうことか。
 これを「ふだんの暮らしの心構え」として説くのなら、
 自分も「天」に倣って、「おのれ自身を愛するのと同様に他人をも愛する」ことなのです。
 
これが有名な「敬天愛人」です。
 
また、「克己(自分に打ち克つ)」とはどのようなことを指すのか、
どうすれば「克己」できるのかについても、
西郷さんが本書の中でしっかり解説してくれています。
 
私は、この西郷さんの示す「道」を、「命」よりも大切なものとして掲げるつもりです。
この書籍には、事細かに「道」について書いてありますので、
自身のバイブルとして読み返して考察して、
「道」のことをブログに落とし込んでいきたいと思っています。
 
極めれば、何か大きな答えが見えてきそうです。
 
先程の西郷さんを慕って、鹿児島まで出向いた庄内藩士達は、
その後も西郷さんに会いに行っています。
そして、日本史上最後の内乱である「西南戦争」が勃発した時、
西郷さんの下で学んでいた二人の藩士達は、
西郷さんと共に戦い亡くなったそうです。
主君ではない西郷さんのために、「命」を懸けた二人。
「命」よりも大切な何かを見つけていたのかもしれません。
 
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