「幸せ」決算

「決算」とは、会社の頑張ってきた期間が
「黒字」だったか「赤字」だったか「評価」する業務を言います。
 
さて私は最近、「幸せ」にも「決算」があるのではないかと考えています。
イメージして下さい。
「今日は一日頑張ったなぁ」と会社での仕事を思い返しながら、
湯船につかっている自分を。
あるいは「はぁ・・今日も一日頑張った」と、布団に入る自分を。
そういう時って、「幸せ」ではないですか?
そう。
人にも、自分が「幸せ」か「不幸」か判断する「決算日」があります。
それが、「寝る前」および「死ぬ前」なのです。
 
ところで過去ブログで紹介しましたが、人が感じる「幸せ」には2種類あります。
すなわち、現在進行形で「今その時」に感じている「幸せ」。
それから、後から「あの時は」と想い返す「幸せ」。
 
現在進行形で「今その時」に感じている「幸せ」感というのは、
実は「記憶」することができません。
その瞬間瞬間で、大切に感じるしかないのです。
「えっ、本当に?」と半信半疑の方は、以下のことを試してみるとわかります。
過去に大怪我した時のことを思い出して下さい。
あなたは、その時の「痛み」を思い出すことができますか?
できないでしょう?
 
さて、目の前の「体験」は過去のものとなり、いづれ「記憶」となります。
この「記憶」となる時に、人は無意識に「幸せ」か「不幸」かの評価をする訳です。
一日の「体験」は「睡眠中」に「記憶」に変換されます。
先日読んだ雑誌「ニュートン」の記事によると、
「トラウマ」というのも、
「嫌な体験」がその日の「睡眠」によって「記憶」となるときに、
「受け入れがたい苦痛の経験」として「評価」され定着してしまったものなのだそうです。
 
さて、ここで一つ重要なことがあります。
瞬間瞬間で感じていた現在進行形の「幸不幸」の感覚と、
後で「記憶」として整理する際に行う「幸せ」か「不幸」かの評価は、
全く無関連だということです。
当時は「苦しく」ても、後から思い返すと「幸せ」だったなぁという経験は、
あなたにもありませんか?
 
そう。
その日一日が「幸せ」か「不幸」か確定するのは、
現在進行形で体験している「瞬間」のタイミングではなく、
一日の終わりの「評価」のタイミングになってからなのです。
そうであれば、会社や学校から帰って、
寝る前に一日を振り返る時間は、とても重要な時間となります。
「湯船につかっている時」や「布団に入った時」に、
「あぁ、今日も一日頑張ったなぁ・・」「本当に、よくやったよ・・」。
一日の自分を、ポジティブに優しく愛おしく慈しんで評価してあげましょう。
 
そうすれば、「睡眠」時に定着する一日の体験は「幸せ」な「記憶」となるはずです。
 
人の生きる活力は、「幸せ」感から生まれます。
そして、「鬱」は「不幸」な気持ちから生まれます。
 
ですから、一日の終わりの「決算」にしっかりと時間を取って、
ある意味「粉飾決算」してでも肯定的に一日の自分を評価することは、
とても重要なことだと私は考えるのです。
 
そして、これは「死ぬ前」も一緒かなと思ったりします。
「死ぬ前」には、人生の総まとめの「最終決算」があるのではないかと推測する訳です。
「死ぬ前」の「走馬燈」。
人はこの「走馬燈」を観る時に、「幸せ」を感じるのか「不幸」を感じるのか。
そして、ここから先は妄想ですが、
この人生が「幸せ」だったか「不幸」だったかという最終評価が、
何か魂のようなものに、定着したりして。
「死ぬ前」の「走馬燈」は、そのために観せられるものだと。
 
もし、「死ぬ前」にそんな最終イベントがあったとしても、
毎日「寝る前」に肯定的に一日を評価する訓練を積んでおけば、
余裕を持って、自分の一生を振り返ることができますよね。
 
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