「与える」動物、血吸いコウモリ

通常、動物は遺伝的に近い個体にしか「与える」ことはしません。
「与える」とは、自分が損をして相手に何かを提供する行為。
親子や兄弟間でなければ、通常そこまでしないのです。
 
例えば、ニワトリ小屋が火事になった時、
焼け跡には、親鳥が丸焼けになって発見されました。
しかし、親鳥の下からヒヨコがピヨピヨと出てきたのだそうです。
この光景を見た人々は感動し、当時ニュースにもなりました。
 
これは、愛情を子どもに向ける親が、
絶体絶命の場面で、「子どもだけは」と必死に護った結果でしょう。
しかし、「利己的遺伝子」という観点でこの事故を解釈すると、
絶体絶命の場面で、自身の遺伝子を犠牲にしてでも、
自身の遺伝子の若いコピーである子ども達を生き残らせた方が、
将来、自分の遺伝子を広く残せるという打算があったという見方ができます。
 
だから、この親鳥は遺伝子の指令に基づいて、
自分を犠牲にしてでも自身の子どもを残そうとしたという意地悪な解釈もできる訳です。
 
まあ、私は両方だと思います。
つまり、遺伝子の指令に基づいて動いたという側面がある一方、
親鳥の心情的にも「子ども達」を護りたいという親の「愛」があったのだと考える次第です。
 
ところが、親子や兄弟のように遺伝子の繋がりが強くなくても、
他者を助けようという動物もいます。
もちろん、代表的な事例は人間です。
しかし、もう一つ有名な事例として、血吸いコウモリがいます。
 
ドラキュラを連想させる血吸いコウモリ。
彼らの存在は、多くの人がご存じだと思います。
(血吸いコウモリのウィキペディアこちら
 
彼らは名前の通り、他の動物の生き血を吸って生きる動物です。
夜行性の彼らは、夜に寝ている動物に忍び寄り、
鋭い歯で傷口を作り、傷口から血をすすります。
実に大食いであり、30分ほどで自分の体重の40%もの血液を摂取するとのこと。
しかし、彼らの体の代謝は非常に早く、一日食事にありつけない場合、
すぐに餓死してしまうそうです。
そんな彼らは、洞穴や樹洞に100匹以上の群れを作って生活します。
夜食事に出かけますが、集団のおよそ20%が全く食事にありつけないそうです。
では、毎日集団の20%が餓死するのかと言うと、そうではありません。
群れの中で、血液で満腹になった個体が空腹の個体に血液を
口移しで分け「与えて」いるのです。
その「与える」根拠は、血縁関係ではありません。
 
「互恵的利他主義」というのですが、
過去に食事を分け「与えて」くれた個体に食事を分け「与える」のだそうです。
「貸し借り」で「与えて」いるような感じでしょうか。
そして、過去に分け「与えて」くれなかった個体には、
自分から分け「与える」ことはしないとのこと。
 
夜の血液ハンティングに失敗して、
一日食事にありつけないと餓死してしまう彼らの生態から察するに、
進んで他者に「与える」利他的な個体が、
エリートとして優位に生き残ることは容易に想像できます。
すると、現在まで生き抜いている血吸いコウモリは、
ドラキュラというイメージとは相反して、
他の動物では例を見ない「優しい」集団なのかもしれません。
 
まあ、自分に分け「与えて」くれなかった個体には、
分け「与え」ないという厳しい一面を持ってはいますが、
実は、これも不思議な話です。
最初に、誰かが分け「与え」なければ、この分け「与える」連鎖は始まらないのです。
血吸いコウモリの群れの中には、
その相手から過去に分け「与えて」もらってなくても、
空腹で苦しんでいる仲間に分け「与えた」個体がどこかに存在すると思われます。
「ギブ&テイク」の関係を乗り越えた、
「遺伝子」側から見たらエラー的な存在の自己犠牲的な個体がいなければ、
「与える」「与えられる」の連鎖は始まらない訳です。
 

 
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