10万アクセスを超えて

最近、仕事の状況が非常に厳しく、
満足にブログを更新できていませんでした。
 
そんな状況の中、お陰様で当ブログも10万アクセスを達成することができました。
 
最近、ブログの内容を読んで質問のコメントを頂くことも何度かあり、
自分の「才能」を活かして世の中に少しでも貢献できていることに、喜びと満足を覚えます。
自分の「才能」とは、「自分との対話力」です。
自分との対話を力強く行えるので、
「人生とは?」「自分とは?」「世界とは?」という
答えのないような、とりとめのない「問いかけ」をずっと考えることができます。
その分、他者との対話は苦手です。
 
私は苦しい時、「何のために生きているのか」をよく考えます。
フランクル心理学の「態度価値」の考え方もそうですが、
他律的」でなく「自律的」に生きているという意識が
「苦しみ」に対峙するパワーを生み出すからです。
フランクル心理学については、過去ブログをどうぞ)
 
「何のために生きているのか」という問いに対する答えは人それぞれだと思います。
しかし、「欲」とか「本能」のために生きているという答えは、
苦しい時には何の役にも立ちません。
なぜなら、「欲」とか「本能」は、
自身の「心」ではない「遺伝子」がもたらしているものであり、
その答えは「他律的」に生きていることに他ならないからです。
 
ただ、そうは言っても、
人間の「生きる意味」の初期設定は、「欲」を満たすことでしょう。
結局、この初期設定を新たなものに更新しないと、
人は「苦しみ」に「意味づけ」をできず、
「苦しみ」がそのまま「不幸」につながってしまいます。
 
実は私は、自分の能力不足故、今とても苦しい状態です。
しかし、「苦しみ」というモノは誰かに相談してなくなるものでもありません。
「何のために生きているのか」
自分でここに答えを出さないと、「苦しみ」に打ちのめされ、
「自分には生きる価値がない」という結論に到達してしまう訳です。
 
「何のために生きているのか」
 
私は自身との対話を繰り返し、
自身の「苦しみ」をじ〜っと見つめるうちに、
自分よりももっと「苦しんでいる」人々のことを思えるようになりました。
 
自分なんかよりももっと「苦しんでいる」人々のことを思うと、
本当に胸が締め付けられます。
だから、私は「与える」喜びを知ることができました。
 
ただ「与える」喜びを知っているだけでは、無力なのかもしれません。
ライフ・マトリクス的には、
「与える」喜びと対になっているのが、「自己実現」の喜びです。

 
自己実現」によって、自分の「才能」を開花させないといけない。
自分の「才能」を活かすことで、自分にしか提供できない価値を生み出したい。
 
それが私の生きる意味。
 
そろそろ、自分の値踏みは終わり。
持っている「才能」を、苦しんでいる人々のために活かしたい。
 
それが私の心からの喜び。
 
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