「与える」的 仕事の仕方

「仕事」へのモチベーション。
皆さんは、日頃どうやって高めているのでしょうか?
 
「仕事」とは、どんなに苦しくても達成しないといけない人生最大のタスクです。
人生最大のタスクである以上、そこに「意味」を見るならば、
仕事とは、自身の成長に必須の人生の中で最重要な試練と捉えることが可能かもしれません。
 
実際、学生から社会人へ、
ライフマトリクスの「自己実現」の方向には、人は成長するのだと思います。
「苦しみ」に対する耐性とか。
多分、「与える」方向にも成長しますよね。

 
いずれにしても、「苦しみ」に対峙するには、「意味づけ」が非常に重要です。
シベリアの強制収容所で行われていた、
囚人に穴を掘らせてまたその囚人に埋めさせるという強制労働。
あるいは、どんなに積んでも積んでも鬼に崩されてしまう賽の河原の石積み。
「無意味」な「苦しみ」は、責め苦に活用されるほどの真の「苦しみ」です。
 
ですから、人は意識的もしくは無意識的に、
「仕事」に意味づけをしているはずです。
以前のブログでも紹介しましたが、
ウルフルズの「明日があるさ青島幸男さん作詞)」にもこんなフレーズが登場します。
 
 ある日突然考えた
 どうしてオレはがんばってるんだろう
 家族のため? 自分のため?
 答えは風の中
 明日がある 明日がある 明日があるさ
 
どうしてオレはがんばってるんだろう?
人間という存在は、何とかこの問いに明確な「意味」が欲しい訳です。
 
おそらく多くの人は、半分無意識レベルで、
「仕事だから」という答えを持っているように思います。
ちゃんと意識して考えると、
「そんなの答えになってないよ」とつっこみを入れたくなりますが、
「がんばる意味なんてない」よりも、
「仕事だからがんばる」という方が、実際がんばれるような気がしませんか?
 
私もつい最近までは、「仕事だから」というのが、がんばる理由でした。
 
ただ、本当はもっと明確な理由があった方が、
より真剣にがんばれると思います。
ここ最近のブログが更新されていなかったのは、
仕事のボリュームに、私という器が負けてしまっていたから。
やはり、「仕事だから」という意味づけだけでは、
ある程度追い込まれた段階で心が折れてしまうのだと思います。
 
 もっと明確な目標を!
 
ウルフルズの「明日があるさ」の歌詞に挙がっている「答え」の候補は2つ。
自分に当てはめて考えてみると・・・
 家族のため?→家庭を持っていません。
 自分のため?→私は、良くも悪くも欲がない人間です。
 
では、何のためにがんばるのだろう?
 
先日、仕事が追いつかず職場の仲間に仕事を肩代わりして頂いたことがありました。
その彼も本来の仕事でとても忙しいのに・・・。
自分のふがいなさに腹が立ちました。
「完全燃焼してスピードも意識して本当にがんばったのか?」と自問自答したら、
自分のアクセルをフルスロットルにしていないという意識もあるので、
余計自分が嫌になります。
 
もっと自分が頑張れていたら、職場の仲間に「苦しみ」を与えることにはならなかった。
いつか、今度は自分が周りの職場の「仕事」の肩代わりをできるようにならないといけない。
 
そういう想いの中で、「仕事だから」ということでがんばることの限界を感じました。
そして、新たな「仕事」の「意味」が見えたのです。
 
 「職場の仲間のため」に、仕事をがんばる。
 
日々の仕事を効率よく手早く終わらせるのは、余力を生んで仲間を助けるため。
「仕事を終わらせる」ことだけでなく、「仕事を早く終わらせる」ことにも意味があった。
 
 「仕事に時間を要してしまうのは、自分の残業が増え自分が苦しむだけなんだから、
  そんなに無理してスピードを気にする必要はない。」
今までは、無意識に、こんなことを考えていたと思います。
 
仕事が遅ければ、周りに「苦しみ」を与えてしまうという事実は、
そんな甘い考えにダメ出しをしたのです。
そして、むしろ早く終わらせて周りを手伝っていかないと。
 
「職場の仲間のために」。
なかなかよい「意味づけ」だと思っています。
「お金のために働いている」だと、
会社組織と利害関係が相反してしまいますが、
「職場の仲間のために」であれば、会社組織との共存共栄の関係に近づけます。
 
私の最近のモットーは、「外部環境にうまく対峙するには、まず内面を変えよう」です。
「仕事」に対する「意味づけ」を変えてみて、今後がんばっていこうかなと思います。
 
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