「仕事」とは、「心」のスイミングである。

4月は、「仕事」というものを考えさせられる1ヶ月でした。
 
今日も「仕事」について、思ったことがあるので描きたいと思います。
 
皆さんは、スイミングをしたことがありますか?
私は「泳ぎ」が苦手なので、
自分から積極的にプールに行くことは、ほとんどありませんでした。
 
ですが、無職で資格の勉強をしていた時期に、
体調管理(というかダイエット)のため、
ほぼ毎日区民プールに通っていたことがあります。
 
この時、結果として10キロのダイエットに成功しました。
プラス、少し嬉しい「成長」があったのです。
 
それは、「泳ぎ」の上達。
プールに通う以前の私は、25mを泳ぐのがやっとでした。
それもクロールしかできず、
ただただ向こう岸につくことだけを考えて、
息が吸えないという「恐怖」と「苦しみ」にもだえているような状態。
多分、息継ぎをしている時の私の表情は、
「ここで、ちゃんと吸わなければ死ぬ!」みたいな感じで、
傍目から見たらすごいことになっていたと思います。
 
それが、区民プールで25mの泳ぎを何度も何度も繰り返すうちに、
「恐怖」とか「苦しみ」は、だんだん薄れていきました。
相変わらずクロールしかできませんが、
「余裕」と「楽しみ」を持てるようになってきたのです。
一番感動したのは、25mを息継ぎなしで泳げた時だったと思います。
「ああ、25mくらいなら息継ぎなしでイケるんだ」という次のステージに登った感。
 
泳ぎが上手な人には、想像することが難しいかもしれませんが、
水の中で息が吸えないことの「恐怖」と「苦しみ」は、
他の陸上の運動では味わえません。
スイミングは、「乗り越えなければならないもの」がある運動なのです。
 
そして、不器用な私にとっては、「仕事」もスイミングと一緒だったりします。
未経験の仕事や未体験のボリュームの仕事については、
「どのタイミングで息継ぎするべきか」というような「仕事」の「呼吸」がわからず、
ほとんどおぼれているような状況で、
「恐怖」と「苦しみ」を抱えて仕事にあたる訳です。
「やれるのか?」「失敗だけは許されない」という危機感、焦り。
 
ただその「恐怖」と「苦しみ」は、
不器用なビギナーの目の前だけに現れる「実体」の伴わない「精神的な壁」なので、
他者から見たら「なんでそんなに苦しんでるの?」という感想を抱かせるかもしれません。
だけど、当人には紛れもなく実在する「苦しみ」な訳ですね。
 
ただし、一度二度と乗り切ると、スイミングと同じで、
その当人にも、「何とかなりそうだな」という感覚を持つことができ、
その「恐怖」と「苦しみ」が「幻想」だったと知ることができるようになります。
 
泳いでいる時の「うまく息継ぎできなかったら死ぬかも」という「必死さ」。
私は、いろんな場面で、この「ビギナーズ苦しみ」を感じます。
そういった訳で、
ビビリな私は、人より「苦しみ」を感じやすい人生を送っているような気がする次第です。
だけど、苦しみながらも何とかかんとか乗り切ることができれば、
きっと「成長」の喜びや感慨も大きいはず。
その報酬部分をしっかりと認識して、
これからも、「人生」の「25mプール」を繰り返し繰り返し泳いでいきたいと思います。
 
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