「幸せ」を手に入れるためには

「幸せ」。
これほど、多くの人が求めているにも関わらず、
手に入れられないものもないのではないでしょうか。
さながら、かぐや姫が求婚者達に
「伝説のこの品を持ってきて下さったら、求婚をお受けしましょう」と出した難題のように、
血眼になって探しているというのに、一向に見つかりません。
 
もちろん、私も「幸せ」を探している一人です。
まだまだ「幸せ」を掴んだ訳ではありませんが、
長きにわたり、書籍等の情報を調べ、自身と対話し、「幸せ」の模索を続けています。
このブログも、「幸せ」探しの一環です。
 
さて今回は、現時点で私が「考察」している「幸せ」を手に入れるための方法を、
一旦ここでまとめてみたいと思います。
 
まず、「幸せ」を手に入れるための大前提は、
「幸せとは何か」自分の頭で「考察」することです。
はっきり言って、「幸せ」への考察なしに「幸せ」を追い求めても、
その道は確実に「不幸」につながります。
しっかりと「幸せとは何か」を考えない場合、
深海の暗闇の中でチョウチンアンコウが見せる「光」に吸い寄せられる小魚と
同じ運命をたどることになります。
私の考えでは、本当の「幸せ」はそんなに鮮やかな「光」を放っていない。
 
私は、「幸せ」や「人生」を考察する上で、いくつかの「理論」をベースにしています。
その一つがリチャード・ドーキンス博士の「利己的遺伝子」です。
この理論を受けて、
私は「自分」というものを
「遺伝子(本能)」と「生命(心)」に分解することができると感じました。
そうした時に見えてくるのが、
「遺伝子(本能)」は自身のコピーで世界を埋めることが目的の存在であり、
個々の「生命(心)」は、
単なる使い捨ての「遺伝子」の「乗り物」に過ぎないとうことです。
「遺伝子(本能)」は、「生命(心)」を犠牲にすることになんのためらいも持ちません。
(詳しくは、過去ブログをどうぞ)
 
「心」での「考察」なしに、「幸せ」を求めると、
「遺伝子(本能)」が用意した「疑似餌」に誘導されます。
その「疑似餌」をいくら追っても、「幸せ」は一向に見えてこず「苦しみ」が募るだけです。
 
世間一般的に漠然と「これが幸せ」と言われているものも、この「疑似餌」です。

(1)「お金持ち」
 「お金持ち」になることが「幸せ」になることの手段と考えられがちですが、
 全員が「お金持ち」になれる訳ではありません。
 まず、ここで「お金持ち」が「幸せ」だと信じている人達の多くが、
 現実とのギャップで「苦しみ」に囚われます。
 では、「才能」や「運」により「お金持ち」になれた人は本当に「幸せ」になれるのか。
  「高額の宝くじに当選したのに身をもち崩す人」
  「遺産相続のために親や兄弟を憎み足蹴にする人」
  「ギャンブルに身を崩す会社オーナー一族のゴシップ」
  「著名な芸能人の不倫や離婚等の愛憎劇」
 「幸せ」とは「何か」を理解していないと、
 「大金」を所有していたとしても、「幸せ」になれる訳ではありません。
 大体「お金」なんてただの道具であり、大事なのは「お金をどう使うか」です。
 飛行機のファーストクラスやホテルのスウィートルームに
 必要以上の「大金」を使う人がいますか、
 その「大金」の対価が、
 客室乗務員やホテルマンに「特別」扱いされてちやほやされることだけだとしたら、
 なんか滑稽な感じがします。

(2)「栄光」「名誉」
 まあ、これは「お金」なんかよりも説明が簡単。
 世間から「特別」扱いされて、羨望の眼差しで見られることに、人は快感を覚えます。
 だけどその快感に酔うと、「特別」扱いされなくなった時の「苦しみ」は相当なものです。
 私は、ミュージシャンを目指す訳でもなく、
 単にアイドル志望で集まった若者を見ているとなんだか可哀想な気持ちになります。
 転落するアイドルは五万といる訳で、
 アイドル経験後、ちゃんとした「幸せ」な人生を送れる人はどのくらいいるのでしょうか。
 一般人よりも「幸せ」な人生を送れる人の割合は少ないように感じます。
 「栄光」や「名誉」は、「他者」の「モノサシ」で測られた結果です。
 自分のコントロール外のものに「幸せ」を求める行為は、
 オアシスの蜃気楼を追うごとく、危険な行為だと私は考えます。
 また、昨今の日本社会では「幸せ」難民のための「新興宗教」が花盛りですが、
 その宗教団体や教祖が「栄光」を追っているようなところには行かない方がいいです。
 まあ基本、「幸せ」だけは他者任せにせず自分で「考察」する必要がある訳ですし。
 
さて、「幸せ」を手に入れるためには、「幸せ」は必ず自分の「心」で「考察」する。
これについては、ご理解頂けましたでしょうか?
 
次に、私の現在の「考察結果」を以下に記したいと思います。
ずばり、この「ライフ・マトリクス」という図で表現できると私は考えています。

 
まず、「幸せ」になるためには、
「遺伝子(本能)」の支配に打ち克つことが必須条件です。
「遺伝子(本能)」に支配されている状態(他律)から、
「心」で自分をコントロールする状態(自律)に切り替える。
打ち克つ対象は2つ。
「遺伝子(本能)」のもたらす「安楽欲求」に打ち克ち、「努力」すること。
それから、「遺伝子(本能)」のもたらす様々な「欲求」や「快楽」を喝破し、
「奪う」属性から「与える」属性にシフトすること。
「ライフ・マトリクス」の縦の方向に「心」が成長しないと、
「世界」との摩擦で「苦しみ」が募ります。
「ライフ・マトリクス」の横の方向に「心」が成長しないと、
「他者」との摩擦で「苦しみ」が募ります。
 
※「ライフ・マトリクス」について詳しくは、以下の過去ブログ群をご覧下さい。
 ・人生を幸せに生きるための仮説(その1)
 ・人生を幸せに生きるための仮説(その2)
 ・人生を幸せに生きるための仮説(その3)
 ・人生を幸せに生きるための仮説(その4)
 ・人生を幸せに生きるための仮説(その5)
 ・人生を幸せに生きるための仮説(おまけ)
 
さて私は、上記のようなところまで「幸せ」を考察できたので、
後は、これを実現する方法を現在試行錯誤しているところです。
「幸せ」という人生最大の山の頂上を目指す「ルート」としては、
悪くない「ルート」だと考えています。
 
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