「幸せ」な「与える」もしくは「働く」

人は、「与えられる」ことで生きていますが、
同時に「与える」ことで生きています。
誰でもです。
 
「えっ?きっとあの意地悪な人は、「与える」ことなんてしてないよ」って
思う人もいるかもしれませんが、
人は、誰しも「働く」という形で「与えて」います。
そして、給料を「与えられて」生きています。
 
人の社会は、「与え」そして「与えられ」、このシンプルな2種類の活動の集合体です。
例えば、仕事。
従業員は、自身の「心」を消耗させて「時間」を会社に与えます。
そして、会社は「お金」を従業員に与えます。
この2つは、あくまで対等な「交換」です。
 
しかし、現代は「お金」というものが力をつけすぎました。
そして、相対的に「働く」という提供が、軽んじられる結果になっている訳です。
 
イメージとしては、こんな漫画が描けるくらい。

実は世の中には、いろんなものに様々な精霊が宿っています。
「お金」にも精霊が宿っているし、「働く」という行為にも精霊が宿っている。
「働く」の精霊は、汗水垂らして一生懸命な印象があり、見ていて気持ちがよい精霊です。
一方、「お金」の精霊は、人々の欲望とか嘆きとかよくないものを、
ず〜っと吸い続けたお陰で、モンスターのような外見になってしまっています。
そして、「相続争い」や「戦争」や「強盗」や「詐欺」等、
いつしか人々に厄災をもたらす力をも手に入れてしまったのです。

さて、この「お金」というモンスターに魅了されてしまうと、
人の本来の「幸せ」は吹っ飛びます。
これだけ、科学技術が進化し、生産性が爆発的に向上し、
江戸時代の頃よりも、非常に素晴らしい環境で生活しているのに、
「幸せ」を感じている人の割合は、おそらく一向に増えていない。
それは、人々の「幸せ」を、「お金」が吸っちゃっているからですよ。
 
人々が、真に「幸せ」を感じる源泉は、「与える」ことです。
しかし、今は、この「与える」ことが「お金」によって、狂わされています。
 
本来「与える」とは、「苦しん」でいる人を、対象にする行為であり、
相手を「幸せ」にすることで、自身の「幸せ」が増進します。
そして、「働く」という行為は、人生の中で最も大きな「与える」行為です。
この「働く」の質が悪ければ、人生に「幸せ」は得られず、「苦しみ」だけが募ります。
 
つまり最も美しい「働き方」とは、困っている誰かを「幸せ」にする「働き方」なのです。
「不足」していることを、自分の力で埋めてあげて、相手も自分も「幸せ」になる。
「不足」を埋めて、「ゼロ」にしてあげることが、「与える」の本質的な機能なのです。
 
ところが、「お金」の存在が、「不足」の概念を狂わせました。
「お金」だけは、どんなにつぎ込んでも「不足」は解消せず「ゼロ」にならないのです。
 
あの世界一の金持ちビル・ゲイツだって、もっともっと「お金」を必要としています。
競合企業に負けないように、日夜従業員にハードワークをさせています。
 
資本主義の蔓延により、いまや私たちの「与える」相手は、
金持ちの「経営者」となってしまっているのです。
「お客様も喜ぶのでは?」と考える人もいるかと思いますが、
「お客様」が喜んで頂けるのは、あくまで「商品」という「結果」にすぎません。
皆さんが直接的に提供した、
「労力」や「汗水」や「心」のような「過程」を享受する相手は、
あくまで「会社」であり「経営者」なのです。
 
「会社」や「経営者」は、常に「不足」して困っています。
どんなに黒字になったって、「お金」が足りない、「お金」が足りない。
仏教では、よく「足るを知る」ことが、「幸せ」の源泉と言われていますが、
最も「足るを知らない」存在が、この「会社」という存在なのです。
 
「会社」や「経営者」は、常に「不足」して困っていますから、
悲しいことに、ここで「与える」の関係が成立してしまうのです。
人々は、「与える」ことで「幸せ」を感じ生きる。
すなわち、「与える」ことこそが生きることなのですが、
その「与える」ことの質が劣悪になってしまった訳です。
 
ところで、あなたはどんな相手に「与えて」生きていますか?
その相手が、「お前の代わりならいくらでもいるんだ!」と言い放つような会社なら、
あなたの人生は、きっと苦しいものでしょう。
その相手が、もう十分に満たされているのに、
「まだ足りない」「まだ足りない」「もっと働け」「もっと働け」と言うような会社なら、
あなたの人生は、どんどん疲弊していくでしょう。
 
「給料払っているんだから、文句言うな!」と、どこかの経営者から文句が出そうですが、
給料をもらっていたとしても、働いているあなたが「幸せ」でないのなら、
そこには何か問題があるのです。
人々はこぞって、真の「幸せ」を追求すべきです。
その真の「幸せ」を求める「心」や「声」がやがて大きな「共鳴」を生み、
そして「世界」をも治癒していきます。
 
一度想像してみましょう。
あなたが大切な「時間」や「心」を「与えた」なら、
困っていた相手が「幸せ」になり、あなたも真に「幸せ」になれるような仕事のことを。
その仕事は、もしかしたら低賃金かもしれませんが、
あなたに真の人生の「幸せ」を約束してくれます。
「給料」だけで仕事を決めない。
「給料」と「与える幸せ」を天秤にかける。
「幸せ」な人生を送りたいのなら。
 
かつて、マイクロソフトの幹部社員だったジョン・ウッドという人が、
マイクロソフトを退職し、
「ルーム・トゥ・リード」という世界の子ども達を援助するボランティア団体を立ち上げました。
(詳しくは、過去ブログもしくはウィキペディアで)
彼の書籍「マイクロソフトでは出会えなかった天職」(ランダムハウス講談社)を読みましたが、
マイクロソフトでエリート社員として働いていた頃なんて比べものにならないくらい、
現在の活動で頑張っていることの方が、彼にとって「幸せ」なのだそうです。
 
今、まだ「人生」の中で「幸せ」を捕まえられていない方は、
「与える」こと(すなわち「働く」こと)の質をチェックした方がよいかもしれません。
「仕事」は、生きる上での「他律的」な「義務」ではなく、
あなたが自分の意思で「自律的」に「供与」するものであることを忘れないでください。
 
「与える」ことで、真に「幸せ」になれる「仕事」を模索していきましょう。
本来「仕事」をすることで得ることのできる一番大切なものは、
「与える」ことによる「幸せ」なのです。
 
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