「ニーチェ」という生き方

本との出会いを信じますか?
悩み求めている時に、「答え」を示してくれる本。
 
私は、今人生に迷い、コンビニである本を手にしました。
それは、「ニーチェ」の解説本。
 
以前にも「ニーチェ」の解説本を読んだことがあります。
恥ずかしながらその時は、「何だか青臭い考え方だなぁ」と思ったものです。
 
しかし今、「ニーチェ」の解説本を読み返してみて、
当時とは違う手応えをつかみました。
 
今回読んだ解説本は、『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ西研さん著)』。
ニーチェ」の哲学のエッセンスを、
非常にわかりやすく解説してくれているので、お勧めの1冊です。
 
さて、私は今回「ニーチェ」から何を得たのか?
それは、「生きる」ことについて。
 
ニーチェ」は、「永遠回帰」という概念で、
「世界」を「苦しみ」が永遠に続く「救い」のない繰り返しと捉えました。
死んだら「天国」に行けるとか、そんな甘い話なんてない。
そう、「ニーチェ」は「神は死んだ」と言ったのです。
 
では「人間」は、このどうしようもなく絶望的な「世界」において、
我が「人生」や「運命」を恨むことしかできないのか?
自分の「苦しみ」をどうすることもできない「無力感」。
どうすることもできない怒りの「歯ぎしり」。
このような自分の境遇に対して抱く「恨み辛み」の感情を、
ニーチェ」は「ルサンチマン」と呼びました。
 
しかし、「ニーチェ」は「ルサンチマン」に負けるな!と言います。
どんな「苦しみ」の「人生」であろうと、「今」この「人生」を力強く肯定するのです。
この「苦しみ」の「人生」は、確かに私が「欲した」ものだと。
確かに私は、この「人生」の主人公であると。
この「自分」をとりまく条件の中で、どうやって「悦び」をくみ取るのか考える。
「世界」がどうあるかではない。「自分」がどう生きるかなのです。
自分以外のあらゆる「モノサシ」からの脱却。
 
そうして、「ニーチェ」は言いました。
「われわれの魂がたった1回だけでも、絃のごとく幸福のあまりふるえて響きをたてたなら、
 このただ一つの生起を引き起こすためには、全永遠(の人生)が必要であった」
 
一度でもいい。「魂」がふるえるほどの「幸福」を体験したか?
そうであるならば、どんなに「苦しく」ても、
その「人生」には生きる価値があったということです。
まだ体験していないのなら、
現状の「人生」のままで「魂」がふるえる「幸福」をつかめるのか考えましょう。
今のままで無理ならば、その後のたれ死のうとも、
ふるえる「幸福」を体験するために、自ら欲する道に進路を切り替える必要があるでしょう。
 
ニーチェ」は、この全てを肯定する強い人間像を「超人」と呼びました。
「超人」の精神を手に入れるためには、3段階の変化が必要だとしています。
 
(1)最初の段階は「ラクダ」です。
  自分から求めて重い荷物を担ごうとする精神。
  「我に七難八苦を与えたまえ」と言った山中鹿之助のように。
(2)次の段階は「獅子」です。
  社会や他者が押しつける「汝なすべし」という巨大な竜と闘う一匹のライオン。
  ライオンは竜に向かって吠えるのです。「我欲す」と。
(3)そして、最後が「幼子」の段階。
  巨大な竜との闘いが終わり、ただひたすら自分から溢れてくる創造力に身を委ねる。
  無心に、「生きる」ことそれ自体が、遊技であるように。
 
我は欲します。
「笑顔」に囲まれる素敵な「世界」を。
一度でいい。涙流れるほどに、たくさんの苦しんでいる人々を「笑顔」にしたい。
こんな「人生」でも、生まれてきてよかったなぁと、心から思えるように。