優しい唄「僕が一番欲しかったもの」

「優しい唄」と出会ったので、紹介したいと思います。
その唄は、槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」です。
 
そこで歌われているものは、等身大で素の「優しさ」。
まずは、「これは」と感心したこの唄の歌詞を紹介します。
 
 
「僕が一番欲しかったもの」
 
 さっきとても素敵なものを
 拾って僕は喜んでいた
 ふと気が付いて横に目をやると
 誰かがいるのに気付いた
 その人はさっき僕が拾った
 素敵なものを今の僕以上に
 必要としている人だと
 言う事が分かった
 
 惜しいような気もしたけど
 僕はそれをあげる事にした
 
 (中略)
 
 結局僕はそんな事を何度も繰り返し
 最後には何も見つけられないまま
 ここまで来た道を振り返ってみたら
 
 僕のあげたものでたくさんの
 人が幸せそうに笑っていて
 それを見た時の気持ちが僕の
 探していたものだとわかった
 
 今までで一番素敵なものを
 僕はとうとう拾う事が出来た
 
 
この唄で一番心に響いた歌詞は、
「惜しいような気がしたけど 僕はそれをあげる事にした」です。
 
いつかブログに描きたいと思っているのですが、
話が長くなりそうでまだ描けていないことがあります。
それは、私が「あげる事にした」お話。
いや、過去形でなく今でも「あげ続けて」います。
そのことを人に話すと、
「そこまですることはないんじゃないか」と普通に反対されるようなことです。
 
今回紹介した唄では、ハッピーエンドになっていますが、
はたして本当にこういう結末になるか、誰にもわからない。
自身の「人生」というかけがえのないものを賭ける訳ですので、
上記の「惜しいような気がしたけど 僕はそれをあげる事にした」というのは、
ある程度「覚悟」と「熟慮」と「信念」がないとできないことだと思います。
 
「笠地蔵」や「舌切り雀」のように、
「あげること」が将来の物質的な恩返しにつながるなんてことは、実際まずありません。
宗教のように、「よいこと」をしたら「天国」や「極楽」にいけるからっていう動機も
悪くはないかもしれませんが、それが「優しいこと」をする動機っていうのも何だか寂しい。
 
実際には、「優しいこと」をしたって何の見返りもないと
思っていた方が間違いはないと思います。
ただ、「苦し」んでいる人達が「笑顔」になるのを見ることは、
理屈抜きで「心」が暖かくなって、「心」から「よかった」って思えます。
そして、とても美しい「笑顔」ができるようになる。
それは保証できるかもしれません。