「色欲」についての考察

過去のブログでも言及していますが、
私は、人間の「心」は「良心」と「欲望(本能)」に分類できると思っています。
そして、世の中の人は以下のように二分されると考える次第です。
 
(1)自身の「本質」が「良心」にあると捉え、「欲望」と同居していると考える人々
(2)自身の「本質」が「欲望」にあると捉え、「良心」と同居していると考える人々
 
仏教は、(1)の考え方ですね。
「煩悩」を異物と捉え、「煩悩」を払うことを勧めています。
また、(2)の人もよく見かけます。
私が昔所属した職場では、
妻子持ちの男性社員が女性社員に、
「人間死んだら無になるんだから、楽しまないと損だよ」って言って
口説いていたのを聴いたことがあります。
なかなかに哲学的な発言だなと思いましたが、
この価値観は間違いなく(2)に属する訳ですね。
自身の「本質」を「欲望」と捉えている。
 
さて、この「欲望」を理解する上で、役に立つのがキリスト教の「7つの大罪」です。
ウィキペディアこちら
キリスト教では、人間を罪に導く欲望を「7つの大罪」として7つに分類しています。
すなわち、「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」です。
人々は、生まれつきの大小はありますが、上記7つの欲望を一式持っています。
 
先日、NHKのアナウンサーが痴漢容疑で逮捕されましたが、
彼は「色欲」を制御できなかった訳ですね。
「欲望」は暴走すると、他人もしくは自分、あるいは両方を傷つけます。
 
ところで私は、人間の「本質」を「良心」と捉え、
そして「欲望」を「異物」と考えている人間です。
その価値観の上で、今から皆さんに恐ろしい「投げかけ」をします。
 
痴漢や性犯罪のニュースを見るといつも思うのですが、
彼らは生まれつき「色欲」の強い、先天的な病気と言ってもいいのではないかと思うのです。
もちろん加害者を庇うつもりは、毛頭ありません。
しかし、加害者の彼らが「色欲」という「欲望」にそそのかされたのも事実でしょう。
私は、「良心」と「欲望」を別に考えます。
痴漢等の加害者には、妻子を持ち、社会的にも大きな貢献をしている人も多い。
「色欲」という「欲望」が人より強すぎるという面はあるものの、
「良心」という面は、「欲望」の影響を受けることなく独自に存在するかもしれない。
おそらく痴漢加害者の中には、妻子を立派に「幸せ」にしている人もいるでしょう。
「色欲」が生まれつき異常に強いという先天的な病気のため、
彼らは「過ち」をおかしてしまう。
彼らとて、「色欲」が去って冷静になった時に己の行動に深く絶望するのではないでしょうか。
 
そこで、私は考えました。
外国では、化学的投薬で性犯罪者に対し、「性欲」を抑制する処置をする国があります。
日本で性犯罪をおかす人達にもそのような「治療」をしてあげた方がよいと、
私は考える次第です。
制御できなかった強大な「色欲」を抑制してあげれば、
彼らの「良心」もきっと喜ぶことでしょう。
 
「非人道的」な話に聴こえますか?
しかし、私の「心の本質」=「良心」、「欲望」は「同居者」という考察が正しければ、
この「性欲の化学的治療」は一転して、
「病苦」からの解放という極めて「人道的」な話になるのです。
 
世の中に「色欲」の被害者は、大勢いらっしゃいます。
そして世の中の「理不尽」も、「色欲」が原因となることが非常に多い。
制御できない「欲望」が、自分も他人も苦しめるのなら、
それは治療してあげた方が良いように思います。
 
もちろん、本人の同意なしに強制的に治療するのはダメです。
だけど、強すぎる制御できない「色欲」は、人格破綻ではなく病気なのだという認識を
社会に徐々に浸透させていくことは大事だと思います。
そして、強すぎる「色欲」が「治療対象」であるという認識を社会で確立することで、
本人達が自発的に治療を受けるという流れを創れれば、
世の中の「理不尽」が大きく解決するのではないかと考える次第です。
 
また、本人の同意を得やすくするには、
「色欲」を満たす一時的な「快楽」の代替として、
穏やかな「幸せ」の源泉となる
「家族や仲間と一緒に過ごすこと」や「知的欲求」「創造欲求」等への評価を
社会的に推し進めるような環境創りも大切だと考えます。
 
この「投げかけ」に対して、皆さんはどのように考えるでしょうか?
世の中をよくしていくために、是非このような議論が展開されていくことを望みます。
これからも私は、
このような「本質」を見つめた大胆な「投げかけ」をしていきたいと思う次第です。
 
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