「舌切り雀」から考察する「就職活動」

おとぎ話の「舌切り雀」。
ご存じですよね?
知らなかったり忘れてしまった方は、ウィキペディアをどうぞ。
 
このお話で印象に残るのが、
スズメをかわいがっていたお爺さんと
スズメの舌を切ってしまったお婆さんが
それぞれスズメから受け取る「大きなつづら」と「小さなつづら」のお話です。
 
スズメのお宿から帰るときに、お爺さんは
スズメから「大きなつづら」と「小さなつづら」のどちらかをお土産にどうぞと言われます。
お爺さんは「小さなつづら」を選び、家に持ち帰ってつづらを開けると、
なんと中には小判が詰まっていたのです。
 
それをうらやんだお婆さんもスズメのお宿に押しかけました。
そして欲張りなお婆さんは、スズメから「大きなつづら」を強引に受け取ったのです。
お婆さんが帰り道でつづらを開けると、
なんと中には妖怪や虫や蜥蜴や蜂や蛙や蛇が詰まっていて・・・
 
さて、この「小さなつづら」と「大きなつづら」。
もしあなたが、スズメからどちらかを選べと言われたら、
短絡的に「大きなつづら」の選ばずに、じっくりと悩むことができるでしょうか?
 
 
実は・・・私にはできませんでした。
 
それは、「就職活動」の時のお話です。
私の志望する会社は、
どれも、テレビのCMで名が知れていたり、財閥の名前が冠された会社でした。
そう、私は見栄や焦りから、「大きなつづら」ばかりを求めていました。
 
アタリの「小さなつづら」には、小判がザクザク。
ハズレの「大きなつづら」には、その人の人生を終わらせる妖怪が。
 
「就職活動」をする学生さん達にとって、一生の多くを捧げる勤務先選びは、
まさに上記のような今後の人生を左右するとても大きなの選択肢のはずです。
ところが、私は深く考えず「大きなつづら」を追い求めてしまいました。
 
本当は、何を考え悩めばよかったのでしょうか?
 
最初に入った大会社を辞め、今はコンサルタントとして生きている私が、
昔の自分に何を言いたいか、少し考えてみました。
 
まず考えたのが、就職活動とは「生きる」ことそのものであるということです。
私たちは野生から離れ過ぎてしまい、「生命」としてのピントがぼけてしまっています。
だから、そこのところの「直感」が働かないのです。
考えても見て下さい。
野生動物は、自らの力を見極め、自らのエサ場を、自らの嗅覚で、真剣に探します。
生きるために。生き残るために。
 
対して人間は、就職活動を、どんな動機で行っているのでしょうか?
恥も外聞もなく「幸せ」に生きるために、
自信の「幸せ」をまっすぐ見つめて、就職活動をできているでしょうか?
生まれ持った才能やハンデは変えられない。
自分を見極め、自分の力を必要とする会社を、
ブランドや名声に流されずに、最後は自分の直感で選べているのか?
 
私は、学生だった頃の私に言いたい。
まず見栄ではなく、自分の「幸せ」を一番に考えろと。
そして、自分の「幸せ」とは何か真剣に悩んでおけと。
それができてから、必死に「エサ場」を探せと。
 
小さな会社と違って大会社における「仕事」とは、「生存競争」です。
すなわち、その「エサ場」に同居する仲間達とも「競争」しなければならない。
小さな会社では、お互いが欠くべからざる「仲間」になるのに対して、
大会社では、どうしても内側の闘いも必要になってくる訳です。
もちろん小さな会社では、経営者の「価値観」と大きく乖離していれば、
その「エサ場」自体に殺される危険性がありますが。
 
いずれにしても私が思うのは、
「大きなつづら」「小さなつづら」といった極めて表面的な事象に囚われず、
また「幸せ」を阻害する存在である「欲望」に選択を委ねるのでなく、
自身の「心」と自身の「嗅覚(直感)」で、自らの「エサ場」を探索・選択できているか。
 
私は仕事柄たくさんの会社を見てきたのでわかるのですが、
「会社」なんてどれも同じではありません。
熱帯雨林」「温帯地域」「砂漠」「永久凍土」。
本当に様々なのです。
私は会社の「環境」は、以下のような要因で決まってくると考えます。
(1)会社の経営理念
 経営理念がない会社は、「経営者の儲け」を最大に考えている可能性が高いです。
(2)社風
 「エサ場」での「仲間」との関係性。「共存」なのか「競争」なのか。
(3)その会社での「エサの取り方」
 自身の爪と牙を使えば、より多くのエサを取れる環境が好ましいです。
 例えば、あなたがライオンであるのに、水中の環境の「会社」に行こうとしないで下さい。
 ただし大企業や中企業の場合は、自身の才能との適合性の他に、
 仲間を出し抜く政治力やコミュニケーション能力が必要であることも多いです。
 例えば、役員のお気に入りという理由で、上に引き上げられるということはままあります。
 
「生物」の鉄則。
それは、より「強い」生命が生き残るのでなく、
より「適応」した生命が生き残るということ。
だから私たち人間が「就職活動」するにあたっても
持っている「才能」ももちろん大事ですが、
「嗅覚(直感)」の方がより重要であると言えます。
しかし私たち人間は、
この「生きる」ための最大の能力である「嗅覚(直感)」が極端に弱ってしまっている。
自身の主観的な「嗅覚(直感)」よりも、
社会や他者の評価や客観化されたデータの方が正しいという人間達の風潮。
直感をないがしろにして、客観性ばかり重視するから、
皆同じ「エサ場」に集中して就職活動で苦しみ、
採用後も自身の「価値観」や「才能」とのミスマッチで苦しむのです。
 
 客観は「幸せ」を殺す。
 
舌切り雀のお話で、もし花咲じいさんに登場する犬のポチが、
「大きなつづら」と「小さなつづら」の選択を迫られたとしたらどうなるでしょう?
きっと彼は、客観的な「見た目」よりも
「嗅覚」や「直感」という自らの感覚で危険を察知して
「小さなつづら」を選んでいたことでしょう。
 
「会社」という「つづら」も、客観的な数値やブランドという見た目では、
中身が自分に望ましいものか感じることができません。
客観的なデータだけでは、生き物である「会社」を把握しきるなんて不可能なのです。
「モノ」ではなく、生き物を把握するためには「直感」が必要。
例えば、病気の生き物を見たときに感じる「不安感」。
寄生虫を見たときに感じる「ゾワッ」とした感じ。
 
繰り返しますが、「就職活動」とは「生きる」ことです。
自分が「生きる」という「幸せ」を追う局面においては、
ブルース・リーの「考えるな。感じろ!」の方が重要であることも多い。
自身の爪や牙や翼を活かせる「エサ場」。
「幸せ」の観点でこの社会をサバイバルするならば、
自身の「直感」を信じる訓練が必要です。
 
「見た目」に騙されず。「欲」に流されず。
「幸せ」の「直感」を磨きましょう。