「信」じる力
あなたは子供の頃、サンタクロースを「信」じていましたか?
サンタクロースを「信」じていた人は、「幸せ」な子供時代を過ごされていたのかな。
きっとご両親が、子供の頃のあなたの「夢」を壊さないように、
あなたが「信」じていた「優しい世界」を大切に大切にしてくれたのでしょうね。
私は、親戚や知り合いの子供と接していて、とても驚くことがあります。
それは、子供の「信」じる力の強さです。
子供は、何の疑いもなく、「心」からサンタクロースを「信」じています。
これは、大人にはないすごい能力です。
(関連過去ブログ:クリスマスプレゼント)
実は、この「信」の力こそが、子供の典型的な力だと言えると思うんです。
例えば、こんな「なぞなそ」も作れます。
「子供にはできて、大人にできないことはな〜んだ?」
この答えは、「サンタクロースを信じること」。
多分ガチで、この「なぞなぞ」の答えは「信」以外にはないと思います。
そうなんです。
大人になると、誰しも「信」じることができなくなってきます。
「世界」を「信」じられない。「他者」を「信」じられない。「自分」を「信」じられない。
道ばたに咲く雑草の「花」のように、目をこらせばたくさんの素敵なことがたくさんあるのに、
人々は、いろいろなものに傷つき裏切られ、悪いことにしか目を向けられなくなっています。
さてさて、「信」の力を失うとは、どういうことでしょうか?
私は、「幸せ」を感じることができなくなると考えています。
そして、「他者」を「幸せ」にすることもできなくなる。
ところで今私は、「世界」を「信」じていません。
だから、サンタクロースも「信」じていません(笑)
でも、「他者」と「自分」を「信」じるようになってきました。
そうすることは、とても「幸せ」なことです。
「他者」の中に「温かい何か」を見つけて、その人を「信」じて接する。
その人が言うことに対して、余計な邪推なんてしないで、「笑顔」で「信」じて聴く。
そうしていくと、相手も自分自身の正体が「温かい何か」だと気づいて、
相手の「温かい何か」が、どんどん姿を現してくる。
そのような感じで、多くの「他者」の中に「温かい何か」を見つけた時、
私は自分の中にも、とても素敵な「温かい何か」を見つけることができたのです。
「温かい何か」は、「才能」とか「容姿」とかよりもずっと大きな存在です。
生まれた時に与えられた「才能」や「容姿」や「ハンデ」を見てもわかるとおり、
天は人の上に人を造り、人の下に人を造っています。
しかし、これらの与えられたギフトに比べて、
「温かい何か」は普遍的にあまねく人が持っている「心」の「本質」です。
それは、道ばたに咲く雑草の「花」のように美しい。
「信」とは、対象の「よい面」を、ありのままに、受け取る力、受け入れる力。
「お金」を優先する人は、「お金」を優先するあまり、人を傷つけ人から搾取する。
「才能」や「容姿」こそが人の価値だと考える人は、他者を見下す、他者に劣等感を持つ。
持って生まれた「ハンデ」に悩む人は、他者を羨む、自分を無意味だと感じる。
私もかつては、上記のような価値観に拘泥され、苦しみました。
でも、今考えるとばからしい。
「キュウリよりもメロンの方が優れている!」と叫んでいるようにしか見えない。
「命」や「心」は、ただそこにいるだけで、涙が出るほど温かい。
それだけは、裏切られることのない本当の「真実」です。
宇宙飛行士は、長期間の宇宙滞在から帰還すると、
自身の価値観を大きく変える人が多いと聴きます。
何の「生命」も存在しない「宇宙」に切り離されてしまった自分達が、
自分達の生きる場所が「地球」しかないんだと再認識するのだそうです。
(過去関連ブログ:「生命」を最も愛おしく感じるシチュエーション)
宇宙船の中では、国籍や性別という概念は意味をなさなくなるそうですよ。
「あなたが、ただそこにいるだけで」
諸行無常。万物は流転します。
この事実を前に、人々は「信」じる力を奪われていきます。
ゼウスという神の策略によってパンドラの箱を開いてしまった人類。
しかし、最後に箱に残された希望がありました。
それは、自分たち自身の存在そのものである、「温かい何か」です。
これがある限り私たちは「幸せ」になれると、私は「信」じています。