「人生」の「5W1H」

私たちは、いつの間にか生まれていました。
シャボン玉のように、宇宙のように。
 
そして、何の説明も受けずに、生きなければなりません。
私たちには、「5W1H」のどの情報も与えられていないのです。
すなわち、
「私は誰なのか?(Who)」「生まれて何をするのか?(What)」
「ここはどこなのか?(Where)」「今はいつなのか?(When)」
「なぜ生まれたのか?(Why)」「どのように生きるのか?(How)」
 
何も、わかりません。
ここは太陽系の地球で、今は宇宙が誕生してから138億年後だよとは、言えるかもしれませんが、
そもそも宇宙自体が、いつの間にか現れたものです。
宇宙の外側や、宇宙の生まれる前のことは、想像すら許されず、
やはり、根本的には「ここはどこ?」「今はいつ?」という問いにも、
私たち宇宙に内包される存在には、答えることができません。
 
しかし、私たちが「今、ここにいる」ことだけは、間違いのない事実です。
宇宙全体からの視点では「When」と「Where」には答えることができませんが、
私という個人の視点で考えれば、これらの問いに「今、ここにいる」と答えられます。
 
実は「人生」の「When」「Where」に対しては、
私たちは、全体的なマクロ視点からの絶対的な答えは出せなくても、
個人的なミクロ視点からの相対的な答えを出すことは、可能なのです。
この観点で行けば、「Who」にも答えられます。
すなわち、「私」は今このブログを考えながら描いている「私」そのものなのです。
 
では、残る「問い」にも同様に、個人的なミクロ視点から答えを考えてみましょう。
「なぜ生まれたのか?(Why)」
「生まれて何をするのか?(What)」
「どのように生きるのか?(How)」
 
あれ?
残りは、簡単には答えを出せないですよね。
 
ただ私は、だからと言って、この「人生」の「問い」を放置してしまうと、
「今、ここにいる私」という足場だけでは、
他者の価値観に流されて「人生」を漂流してしまうような気がします。
「どこから来て、どこに行こうとするのか」自分視点で感じ取ることができなければ、
この「人生」に「意味」がなくなってしまう。
 
私は、その残された「問い」に答えるため、このブログを描いているのです。
「お金持ちになるため」とか「成功するため」とか、
そういう浅い「答え」ではないように思います。
 
私という個人視点ではありますが、
「心」に「しっくり」くる答えを見出したいと考える次第です。